SNOW MAGIC
大統領執務室。仕事をしているキロス、ぼんやりとそれを見ているラグナ。
「な、キロス…」
「私は忙しい。話している暇はない。君のお陰だ」
嫌み半分で、素っ気なく言う。ちぇ、とふてくされて、ラグナは椅子から立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き始めた。そして、窓の外をじっと見ている。
「あーぁ…キロスぅ…。帰ろうぜ」
「…どうして。君は仮にも大統領だ。無責任なことは言えない立場にあるんだよ」
「だってよぉ…」
じっとラグナはキロスを見た。甘えなど許さない眼光。言いかけた言葉を、ラグナは飲み込んだ。
いつもなら、何か下らない理由を付けて執務をサボりたがるラグナが、今回に限ってあっさりと引き下がる。キロスはその事を訝しく思い、ラグナの傍に近寄った。
「どうしたんだい…、君らしくないね」
優しい言葉に、ラグナは顔を背けた。常にキロスはラグナに対して、高圧的な態度で接している。補佐官としての責任がそうさせるのだが、ついついプライベートでもそれを延長させてしまっている。何しろ、昔からの付き合いで、ラグナから目を離すと何をしでかすか解らない。それをキロスはよく知っている。だから自然にそうなるのだ。ラグナも、キロスの態度に文句を言ったことがない。
「だって…、何だい？いいよ、言ってご覧。怒らないから」
子供をあやすように、キロスはラグナの頭を撫でながら言った。
「本当か？」
「ああ、私が嘘をついたことがあるかい？」
上目遣いで、ラグナはじっとキロスの顔を見ていた。
下手なことを言えば、また何かされるかも、と疑っているのだろう。暫くして、裏がないことが解ったのか、漸くラグナは口を開いた。
「熱っぽい…風邪引いたかもしんねぇ」
その台詞で、キロスは真っ先に仮病という単語が頭に浮かんだ。事実、今まで何度もラグナは風邪引いたから帰る、と言い出したのだから。オオカミが来たぞー。キロスは…嘘つき少年の哀れな結末を思い浮かべた。
「ああ、風邪ね。了解。じゃ、仕事再開しようか」
「何だよ！信じてくれねぇのかよっ！」
ムキになってラグナがキロスに詰め寄る。冷たい視線で見て、キロスは椅子に座り直した。
「何度風邪引いたかな？ラグナ君。私の知る限り、君はそんなにヤワじゃない筈だよ」
以前、何度も仮病を使って執務をサボろうとしたことを言われているとラグナは気が付いて、また黙ってしまった。口で敵う訳がないのは、昔から変わらない。
「ホントだよ、キロスっ……なぁ、信じろよ…」
「はいはい。解ったから、少しでも私の仕事を減らして…。……!!」
書類に目を向けていたキロスの耳に、言葉から遅れてドサッという音が入った。何かと思い視線をそちらに向けると、床に倒れているラグナの姿がそこにあった。慌てて傍に駆け寄る。
額に掌を当てると、尋常ならぬ体温が伝わってきた。風邪を引いたというのは、本当だったのだ。しかも、ラグナは熱に耐えていたらしい。気が付かなかった己の迂闊さを、キロスは呪った。
「…何てことだ…っ！」
机の上の受話器を取り、ラグナが倒れたこと、そしてスケジュールを総て取り消すよう伝える。
「ん…キロス？俺、どうしたんだ…？」
「喋らないで。済まない…、私が悪かった。本当に風邪を引いていたんだね」
謝罪するキロスに、ラグナは力無く笑った。普段見せる温かい微笑みではない。
「いいよ、俺が悪いんだ…。えぇと、こういうの…嘘から出た…何だっけ…」
こんな時まで、諺を出そうとする。少し安心して、キロスはクスリと笑い、言葉を繋ぐ。
「嘘から出た真実、だよ。よく知っていたね」
「…うるせーよ…」
それだけ言うと、ラグナは再び目を閉じた。一瞬焦ったが、眠らせておく方がいいと判断した。熱い額にキロスはキスをすると、ラグナの躰を肩に寄りかからせながら執務室を出た。兎に角、私邸で休ませなくてはならない。
「閣下のご様子は如何でしょうか？それに、今後のスケジュールのことは…」
エントランスを通ったとき、車を用意させていた部下が心配そうに話しかけてきた。一刻も早く休ませたいのに、余計なことをと内心キロスは思った。だが、言えるわけもない。
優秀な補佐官の表情で、部下に適切な命令をする。
「スケジュールは一週間ほど入れないように。無理をすれば長引く可能性もある。療養が必要だ。仕事については、私が代理を任された。正し、閣下の目の届く所で行う。書類は私邸に頼む」
「畏まりました」
文句の付けようのない命令である。仕事は腹心の補佐官に代理を任せる。正し、目の届く所で。不審な所など見出せない。本当にラグナがそう言ったように聞こえるだろう。流石と言うべきか。
起こさないように、そっとラグナを車に乗せた。よく見ると、本当に顔色が悪い。何故気が付かなかったのか。第一、ラグナも我慢せず早く言えば…いや、キロスが疑うことを解っていたのだ。だから、耐えていたに違いない。変なところで、強情をはるのだ。
「…私が悪かったよ…」
キロスは聞こえないように呟いた後、なるべく急ぐように、運転手に言った。