「 眠 れ る 森 」
「万年眠り王子へ」
日だまりが好きです。ぽかぽかと暖かくて、とても幸せです。
眠っているときの貴方はいつも幸せそうで、そのお顔を見ると、一緒に眠ってしまうのです。
日だまりにうとうとしているときのようです。
その髪に埋もれて眠っているときが、一番幸福です。
貴方の髪からはお日様と同じ匂いがします。そんな貴方が大好きです。 だから、同じような気持ちを感じているあの人に懐いているのかもしれません。「・・・どうしたの、チイ。何かあったの？」
独特の眠そうなのんびりとした口調で、長い昼寝から目覚めたばかりの神は尋ねた。
彼に棲みついている樹ネズミは、短い足を素早く動かして、一気に半分樹木と化している神の体を駆け登った。
定位置である首筋にちょこんと座り、毛繕いを始めたが、すぐに急いでいた理由を思い出した。「・・・うん？ それで、どうしたの。急がなくていいよ」
耳元でチィチィと忙しなく鳴く樹ネズミの言葉に、いちいち丁寧に頷きながら、神はゆっくりと答える。
何をいわんとしているのか、完全に理解しているようだ。微笑みながら彼に棲むものの話を聞いていた神は、やがて大儀そうに体を動かした。
木の枝のような四肢を、樹が撓うような形で前後左右に揺らし、そして歩き始める。
今まで樹木のようだった四肢が、人間のそれと変わらぬ形状に自然に変化していった。「どこだって…？ うん、私の社の裏の森ね・・・。分かったよ、ありがとう、チイ」
しなやかな足が大股に地を踏み、滑るように神は進む。
やがて、チイという案内者が教えた森にたどり着いた。
「この奥だって？ うーん、私も随分久しぶりだねぇ」
自分の言葉に頷きながら、神はチイに言うでもなく、呟いていた。
「ここ暫く私も封印されていたわけだし、やっと戻ったばかりでまだ手入れもしていないから、どんな風になっているか分からないね。
…うん、そうだね、チイの家も暫く戻ってなかったから、荒れているかもしれない」そうこう言っているうちに、神は森の最も奥まった洞窟にたどり着いた。
「・・・そこに誰かいるのかい？」
「誰だ・・・！」
神が洞窟の入り口から声をかけると、中から鋭い男の声が激しい調子で答えた。
「誰だって…、一応ここは私の森なんだけどね」
苦笑して神が答えると、暫しの沈黙の後、中の声が恐る恐ると言った様子で尋ねた。
「私の森って、・・・もしかして、木霊ノ寝太郎様・・・？」
おずおずとした問いかけに、「木霊ノ寝太郎」神は至って気軽に答えた。
「うん、そうだよ」
と、何やら中でごそごそと動く気配がして、やがて、入り口にひょっこりともう一人の神が顔を出した。
淡い茶色の髪を頭のてっぺんで結い上げ、犬のような狐のような耳が頭の上に生えている。
きついくせにどこか冷笑的な、一見女のように見える鋭い美貌。
人間で言う狩衣のような衣装。人間では二十二、三歳ぐらいの年齢に見える。 その虚無的な美貌が、不安そうな目で、じっとこちらをみつめていた。「あれ、お前はー・・・」
「あ、稲荷の狐次郎です。どうもお久しぶりです」
ぴょこんと「稲荷の狐次郎」と名乗った神は頭を下げた。
「あ、あの・・・申し訳有りません。
俺、寝太郎様が戻っていらっしゃってたとは存じていなくて・・・勝手にこんなところに入りこんでしまって・・・」おろおろと言い訳する神に、寝太郎という名の神は、笑って手を振った。
「はは…、いいんだよ。私も最近戻ったばかりだったから、お前が先に戻っていたとは知らなかったんだよ。いつ戻ったの？」
どうやら神と言っても位が違いすぎるらしく、一方は恐縮してしまって、言葉もうまく出てこないようだ。
困ったように眉を寄せて考え込んでいる。「えと…、寝太郎様がお戻りになる少し前に、やっと封印が解けて、戻って来たんです」
漸くそう言うだけが精一杯のようだ。寝太郎は、それを察して、自分から質問することにした。
「…それでね、このチイが、誰かが凄い勢いでここに飛び込んできて、それから出てこない、と心配して私を呼びに来たんだ。
どうしてこんな所にいるんだい、狐次郎？」寝太郎は、先程から自分の肩に座って悠々と毛繕いしている樹ネズミを、長い指の先でそっと撫でてやった。
「あ・・・、それは、あの、ちょっと、追われて・・・」
「追われて…？ それは穏やかじゃないね」
一瞬、穏和な寝太郎の目がキラリと鋭い光を放ったが、狐次郎が気づく前に、彼は元の通り穏やかな眠そうな笑顔を浮かべていた。
「あの・・・ちょっと夜刀介様が、何だか妙なことを…それで、少し隠れてようかな、なんて思って。
・・・すみません、すぐ出て行きますから」慌てて背を向けようとした狐次郎を、寝太郎の小枝のように細い指が引き留めた。
「まぁちょっと待って。そんな事情があるなら、何も無理に追い出すようなことはしないよ。
どうせ、私もここにいるんだし、よければここにおいで」寝太郎が長い腕をすっと伸ばすと、衣が葉ずれのような音を立てた。そのまま、細い指が狐次郎の頭をそっと撫でる。
「あ・・・。あの、いいんですか…？」
土の神は、微笑みを浮かべたまま、静かに頷いた。
「何もないけれど、おいで。寝床ぐらいは提供するよ」
一瞬、狐次郎は、この方も同じか、と心の中で身構えたが、すぐに自分の考えすぎだと悟った。
天界一禁欲的、というかそんな感情など持ち合わせていないのではないかと噂される神の言葉には、それ以上の意味などない。「だから、…夜刀介がどんな風だったか、ちょっと教えてもらえるかな」
す、と優しい目が細められ、鋭い光がその奥に宿っていた。
いつもの飄々とした穏やかさからはほど遠く、そこはやはり、高位の土神である。
ちょっと狐次郎が居すくんでしまう威厳というか、厳しさのようなものがあった。よく考えてみると、土の最高位である月光天ヨミの次は、この寝太郎ではないか。
「あ、はい。・・・えっとですね、あれは俺が戻って来たときだから…」
