「Winter DUST」

　あぁ。雪が降ってきた。儚くも、白い雪。この世の昏き影を、総て覆い尽くすように。
　ご覧下さい、ザトー様。愛しい御方。雪です。冷たい、冷たい雪が降ってまいりました。でも、ご安心下さい。貴方がこの寒さに凍えることは、決してありません。ヴェノムがお傍に居ます故に。
『あの日』以来、ザトーが目を覚ますことはなかった。話しかけても、答えはない。口をきくこともない。生体反応だけがある、植物人間になってしまったのだ。
　あの日の闘いで、ザトーの心の奥まで根付いた影はヴェノムによって取り払われた。それで、総てが終わった…筈だった。
　だが、影は予想以上に深く深く根付いていた。心の総てを壊してしまうほどに。意識のないザトーを、急いで組織に連れて帰ると、幾人もの医者に見せた。組織に属する医者だけでなく、名医と呼ばれる者を何処からでも連れてきた。だが、どの医者の答えも同じ。
『二度と目を覚ますことはないでしょう』
　絶望的な宣告。最後にザトーを診た医者が去ってから、ヴェノムは何も答えぬザトーの前に跪き、泣いた。もう二度とあの優しい声を聞くことは出来ないのかと。撫でてくれる手の温もりを感じることは出来ないのかと。憎かった。影が、ではない。自分が憎かった。必ず救うと誓って旅に出、そして漸く見つけ出したというのに…。ザトーをこんな状態にしてしまった、という現実。
「お許し下さい、ザトー様。私の思慮の足りなさが、貴方をこの様な目に…」
　一頻り泣いてから、ヴェノムは顔を上げた。車椅子の肘掛けに置かれた動かぬザトーの手に、自分の手を添える。ザトーは何も言わないし、反応もない。だが、ヴェノムは構わずに言葉を続けた。
「…必ず。必ず、治ります。ヴェノムはその日を待ちます」
「………」
　ザトーの手に接吻をし、ヴェノムは立ち上がった。許されざる大罪を犯した自分は、罪を贖わねばならない。贖うべき術は唯一つ。誰からも見放されたザトーの傍にいる事。
「さぁ、ザトー様。この様なところに隠っていては、躰に良くありません。偶には散策などしないと」
　微笑みながら、ヴェノムは車椅子を押し、外へ出た。雲が広がった空は、昏かった。
　時は過ぎる。だが、ザトーの容態が変わることはなかった。いつも、同じ。ヴェノムが何を話しかけようと、答えずに一点を見つめている。
「そろそろ冬が近づいてまいりました…。ザトー様、お寒くは御座いませんか？」
　部屋の窓を開け、空気の入れ替えをしていたヴェノムは風の冷たさに季節の移り変わりを感じた。木々は葉を落とし、散策に出ている森は寒々しい印象を持たせるようになった。
　窓を閉めると、ヴェノムはザトーの躰が冷えぬように膝掛けを掛けた。そして、暖炉に火を入れる。
　何も答えぬザトーとの生活。それにも慣れてきた。だが、時折訪れる苦しいほどの寂しさ。幼い自分を助け、傍に置いてくれた遠い日の想い出。あの時、寒さに凍えていたのはヴェノムだった。何も言うことが許されず、人格すら認められなかった。アサシンとして役に立たぬ、邪魔なもの。それが幼いヴェノム。だが、処分される寸前、手が差し伸べられた。組織の新たな首領…ザトーの暖かな手が。
「ザトー様…」
　自然に涙が溢れる。これは、罰。人を殺め続けた自分へ与えられた、罰。数えきれぬ人間の血に塗れてしまった手を、ヴェノムは見た。意識せず、ヴェノムは呟く。
　…もし、許されるなら。人の命を奪った己が、神の名を口にすることを許されるなら。唯一つの願いを叶えて欲しい。神よ、ザトー様の心を戻し賜え。自分は地獄の業火に焼かれようと、構わない。それだけの罪を犯している。だが、その前に。…私を愛して下さった優しき御方の心を戻し賜え…。
　ふと、気が付いて、ヴェノムは苦笑した。神、などと。いる筈もないものに縋って何になるのか。
「疲れて…いるのか…」
　壁へ寄りかかり、ヴェノムは溜め息をついた。そして、暖炉の前のザトーに視線を向ける。今、何を思っているのだろう。閉ざされた意識の中で、一人、何を思って。
「ザトー様、私を恨んでいらっしゃるのですか？だから、戻って…来ては下さらないの…ですか…？」
　泣きそうな声で、ザトーに話しかける。静かな部屋に、薪が火で弾ける音がした。
　何も出来ない癖に。傍にいるだけで、何にもならない。遠くから聞こえる誰かの声が、ヴェノムを責めた。認めたくない事実を突きつけられる。ザトーは一向に良くなる気配を見せず、無駄に時が過ぎていくだけ。もし、一生このままだったら？もし、先に自分が死んでしまったら？
　頭を振り、嫌な想像を必死に消し去る。そんな事は有り得ない。絶対に。あの日の誓いを、ヴェノムは思い返す。
「恨まれても…仕方ない。私はそれだけの事をした。ザトー様、ですから…」
　どの様な叱責も、黙って聞き入れましょう。だから、もう一度、声を聞かせて欲しい。
　ヴェノムの呟きは、いつの間にか降り出した雪に吸い込まれ、誰も聞くことはなかった。
　翌日も、空に広がる雲は昏い色をしていた。前日と同じ様な、今にも雪が降り出しそうな色の雲。ヴェノムの心と同じ、昏い昏い色。
「…ご覧下さい、雪です。昨日だけで、こんなに積もって…。ザトー様、外に出てみましょう」
　車椅子を押しながら、ヴェノムは空を見上げる。誰も近寄らぬこの場所に、二人でいる。常ならば、至上の幸福だというのに。たった一つ選択を誤ってしまったせいで、辛い思いをしなければならない。
　勿論、ヴェノムは自分の事を思ってなどいない。心を失ったザトーの辛さを思っている。
「お寒くはありませんか？…ああ、足元に雪が掛かって…。申し訳ございません」
　ヴェノムは車椅子を止めて、ザトーの足元に屈んだ。そして、雪を払うと、自分の着ていたコートをザトーの膝に掛けた。冷たい風が、ヴェノムの躰に吹き付ける。
「…大丈夫です、ザトー様。ヴェノムは、寒さには慣れております」
「………」
　やはり答えは。……ない。再び、風が吹く。強い風が。前日降り積もった雪が吹き上げられ、二人の周りに舞った。その風に呼ばれたかのように、空からも雪が降り出した。静寂だけが、そこにあった。
「…ザトー様…、ザトー様……、雪が、降って…いるのです…白い、雪が」
　ややあって、ヴェノムはザトーの膝に顔を突っ伏すと、泣きながら語りはじめる。
「凍える事など、ありません…ヴェノムが、居ります…お傍に…、一生お傍に仕えます…」
「………」
　ピクリとも動かぬザトーの手。ヴェノムはその手を強く握りしめると、顔を上げ、叫んだ。
「ですから！ですから、今一度、そのお声をヴェノムにお聞かせ下さい！……ザトー様(マイ・マスター)！！」
「…………」
　その叫びへの答えは、やはり沈黙だった。ヴェノムは、俯き、肩を震わせた。どうしようもない、絶望的な現実。覆せない過ち。ザトーの沈黙という現実は、何よりもヴェノムを責めたてる。
「戻りましょう、ザトー様。吹雪いてきそうです」
　落ち着きを取り戻し、ヴェノムは立ち上がった。風の音に、耳を傾ける。雪は止みそうにない。風もますます強くなってゆくようだった。車椅子の向きを変え、道を戻ろうとした時。風に混じって、何かが聞こえた。
「…？」
　最初は、何か獣の類かと思った。だが、それにしては、か細い。もう一度、ヴェノムは耳を澄ます。
「…ェ……ム…」
　その声に、ヴェノムはビクリと身を震わせた。まさか。この声は。
「ヴェ…ノ……ム……」
　違う。気のせいなどではない。幻聴などでもない。だが、ヴェノムは確かめることが出来ずにいた。ザトーの背後で、立ち尽くしたまま動けずにいる。間違いであった時の絶望が、恐ろしかった。
「答え…ては、…くれ…な…い…のです…か？ヴェノム……」
　今度は、言葉としての声がヴェノムの耳に届いた。長い間聞きたいと願い続けていた、愛しい人間の声。それでも、ヴェノムは動けずにいる。ややあってから、漸く、声を絞り出した。
「は、い…ザトー様……」
「雪…ですね。…いつの間に…。寒くはありませんか？ヴェノム」
　ヴェノムの呼びかけに、答えたのは沈黙ではなかった。幻聴と間違えてしまいそうな、か細い声でもなかった。途切れ途切れではない、はっきりとした声。以前と変わる事のない、優しい声だった。
「ああ…お前の悪い癖ですよ、ヴェノム。私ばかりに気を掛けすぎて。これは、お前のコートでしょう」
　肩越しに、ザトーの手が動くのが見えた。何故か、歪んでいる。
「私は…平気です、寒くなど…ありません…。ザトー様…」
「…泣いて…いるのですか、ヴェノム」
　訝しく思ったザトーの問いに、ヴェノムは答えることが出来なかった。涙が溢れ出て、言葉にする事が出来ない。言いたい事…聞きたい事が、山ほどあるというのに。
「大丈夫です、ヴェノム。私が傍にいます。何も恐れることはありません」
車椅子に掴まるように立っていたヴェノムの手に、ザトーの掌が重ねられた。
　暖かな手。優しい声。堪えきれず、ヴェノムは後ろからザトーに抱きついた。泣いている事が解ってしまっても良かった。
　ザトーは、ヴェノムの頭にそっと手を置いた。そして、宥めるように言う。
「ヴェノム…。そんなに泣くものではありませんよ。折角の美しい雪が、見えないでしょう」
　だが、ヴェノムは離れなかった。ザトーに聞こえたのは、嗚咽に混じった謝罪の言葉。
「私は何も責めてはいません。…お前は言ったでしょう、一生私の傍にいる、と。それでいいのです」
「…ザトー様…」
　その言葉を聞き、ザトーを抱くヴェノムの腕に力が込められた。
「あぁ、…苦しいですよ、そんなに強く抱かれたら。さぁ、戻りましょう。冷えてきました」
「申し訳ありません、ザトー様…。…今日の夕食は、温かいものが良いですね……」
　雪が降ってきた。冷たい雪が。昏き影を覆い尽くす、白い雪…。影はもう二度と現れない。 　降り出した雪は忌まわしい過去を消し去り、そこから、私はもう一度やり直す。離れることのない、常に傍らにある想いを抱きながら。

おわり

　 改装終了ばんざーい♪（＾▽＾）　おめでとう、イギアン！ご苦労様！
再び、ドリー夢なＳＳを書いてしまったが、プレゼント・フォー・ユーだ！受け取れっ（迷惑？）
多分、私だけが満足するのだろうが、楽しかった…。また、ザトー×ヴェノム書くからねっ♪

　以上、聯君から頂きました、ザトヴェノのドリー夢な小説。
　どうもありがとうね、ドリーム・ドリーマー・ドリーメストな相棒（笑）
　次も楽しみに待ってるからね。
　しかし、私もやっぱりこうなるんじゃないかな〜と思う。
　でないとヴェノムが可哀相だもんね。