「三会目」

その日は三会目であった。
今までとはうって変わった丁重な様子で部屋に上げられる。
膳部も以前より豪勢で、箸袋には細い右肩上がりな文字で「やぎう様」と書かれていた。
さて席に着く間もなく、太夫の登場。いつもより、一層艶やかで美しい。
「よう来たの」
傲然とした微笑を投げかけ、太夫は柳生の横に腰を下ろした。
酌をするその手つきのしなやかさ。仄かに焚きしめた香は、伽羅ででもあろうか。
柳生がじっと見つめると、太夫は自信たっぷりの笑みを浮かべた。
哀れにも虜になった男が、自分に会いに来るのは当然だと言わんばかりの笑顔。
取り持ちが何か言おうとするのを片手で遮ると、さっと手を振る。
何もかも心得た彼らは、次々と部屋を後にした。
この太夫の気まぐれには、何も疑問を抱いてはならないのだと。
「太夫…」
待ちかねた柳生が手を伸ばすと、太夫は両手でそっとその手を握った。
「よう来たの」
もう一度同じ言葉を口にする。その華やかな笑みが、何故か美しすぎて哀しかった。
「貴方に、逢いたかったのです」
「知っとーとよ」
握った手を口元に寄せ、からかうように舌先でちろりと舐める。
思わず抱き寄せようとした柳生の手から逃れると、太夫は立ち上がり、するすると豪華な打ち掛けを脱いだ。
その下の部屋着の帯すら解いて、艶めかしい緋の長襦袢姿になると、柳生の胸にしなだれかかる。
手を付けぬまま柳生が置いた盃を取り上げると、きゅっと一息に飲み干す。ぱっと白い頬に朱が散った。
その肩を抱き寄せ、抱き締める。女の丸みを帯びた肩とは違う、骨っぽい感触。
そのまま唇を重ね、袷から手を差し入れると薄い胸を撫でる。
太夫は喉の奥でくすぐったそうに笑う。
褥に行くのも待ちきれないのか、太夫の手が柳生の着物の裾を割った。
指先が器用に動いて下帯を外して行く。
その間も、唇は柳生の口から離れなかった。
何故なら、この太夫は自分の役を知り尽くしていたから。
男の欲望を解放させ、眠らせるのが自分の役だという事を、体で理解しているのだ。
町屋の女達と違い、羞じらいも無く乱れ狂い、男を昇天させる為に自分が存在しているのだと、いやという程知っている。
その為に、自分が何を為すべきかということを。
しなやかな指が柳生の男を柔らかく包み込んだ。
軽く扱いてやると、それは熱を帯び、首を擡げ始める。
「そんなことをしなくても、貴方がいるだけで、私は…」
溜息混じりに柳生が声を上げる。
にやりと地獄は笑った。
幾多の男どもをその名の通り地獄に突き落としてきた、魅惑的な冷笑。
「さ、来んしゃい」
さっと身を翻し、緋の布団に座ると、足を開く。
裾が割れ、白い脚が覗くが、その奥までは見えなかった。
男を誘い、地獄という名の極楽へ突き落とす、その快楽の源泉。
誘われるままに、柳生は太夫の足下に跪いた。
「太夫、貴方の名を・・・」
「後でよかろ。早うしない」
そして、待ちかねたように太夫の紅い唇が、柳生自身に吸い付いた。
逆に押し倒された形で、柳生は太夫の口戯に翻弄された。
今まで、こんなことをされたことは、他の妓からもなかった。
その瞬間、自身の中で何かが弾けたのを柳生は自覚した。
ただ愛おしむだけではない、挑むような強い気持ち。
銀糸の髪に指を絡ませ、股間に顔を埋めている地獄の頭を更に押しつける。
鼻に抜ける苦しそうな吐息が洩れた。
今、どんな顔をしているのか、酷く興味をそそられる。
手に力を込めて強引に顔を上げさせると、半開きの口の中に赤い舌が覗き、この上もなく淫蕩な表情で柳生を見ていた。
その体を引き寄せると、何もかも分かった太夫は柳生の腰の上に跨った。
化粧台の上から小さな皿を取り、中身のどろりとしたものを指先で掬うと、男を誘うような仕草で秘所に塗りつける。
そして自らの手で男を導くと、ゆっくりと腰を沈めた。
「あ・・・」
息を呑み、ゆるゆると息を吐く、その呼吸も総て計算され尽くしている。
細い腰を掴み、強く揺さぶってやると、甲高い悲鳴が上がった。
内部が収縮し、痛いほど柳生を締め付ける。
欲に急かされ、柳生は激しく太夫を責めた。
時が過ぎ、ぐったりとした風情で床に横たわる太夫。
「なかなか、やるの、きさん…」
苦しそうな息の下から呟く声は、ふてぶてしくさえあって。
あれ程責められたにも拘わらず、太夫は相変わらず自信に溢れていた。
「貴方が、素敵だからです」
そう言って柳生は地獄の頬に唇を寄せたが、その時気付いた。
太夫自身は、さほど快楽を感じている訳ではないらしいということに。
女と違い、男は欲望の証が一目瞭然である。強い快味を感じれば、自ずとそれに従うものである。
だが、白く美しい体は、情交の後であるというのに白く美しい儘だった。
一流の太夫ともなれば、己の快楽を操る術すら心得ているものだ。
だから、男達は自らの手練に訴え、己の強さをこの体の上に誇示したいと望む。
そして、自らの手で更なる快楽を与えてやろうと挑む男達は、悉くその堅牢な砦の前に敗北する。
太夫を堕とすに快楽を以てするのは、愚者の愚策以外の何物でもないのだ。
だが、柳生はそんな愚かな男達の仲間入りはしなかった。
何が最も効果的か、本能で探り当てたと言うべきか。
柳生は優しく太夫の細い体を抱き締め、軽い口づけを繰り返す。
くすくすと笑いながら、太夫も白い腕を柳生の首に絡める。
まるで、本当の恋人のように睦まじい姿だった。
その片手をそっと手に取ると、柳生は静かにその手を下肢に導いた。
心得たように太夫が再び其れを握ろうとするのを抑え、柳生の手は太夫の手と一緒に、先程男を呑み込んだその場所へと向かった。
太夫の細い眉が訝しげに寄せられる。
不審の声を上げようとした矢先、体の向きを入れ替えられ、背後から抱きすくめられる。
それと同時に、二人の指が其処に這い込んでいた。
「あっ・・・！」
慌てて引き抜こうとした地獄の手を、重なった柳生の手が力強く押しとどめた。
足に足を絡めて大きく股を開かせる。
「やっ…！　なんしよっと！」
太夫の声には本気の怒りが見え隠れしていた。
「何って…。掻き出してあげているのですよ、貴方の中の私を」
薄い耳朶を噛まんばかりに口を寄せ、囁いた。
其処が弱いのだろうか、身をくねらせて悶える様が、とても煽情的だと思った。
「ほら、此処でしょう？」
二人分の指が或る一点を掠めると、地獄の躯は痙攣するように大きく撥ねた。
「あっ、やっ…！」
小さく笑うと、柳生は太夫のもう片方の手も掴んだ。
逃れようと首を振る。身悶える様が悩ましい。
「握って下さい。ね？」
柳生は太夫の手を太夫自身に導いた。其れは指の刺激に、硬く張り詰めていた。
「やっ…、嫌じゃ…！」
そう言われても、柳生は太夫の手と一緒に其れを握りこみ、ゆっくりと上下に扱き始めていた。
「こうすると、良いでしょう？」
優しい声が意地の悪い言葉を囁く。
「ひっ…あぁ…」
細い躯がぶるぶると震えていた。
視線を変えると、薄い胸の小さな果実が赤くぷくりと膨れている。
「感じているのですね、太夫」
首筋に舌を這わせると、薄い唇から堪えきれない熱い吐息が零れた。
「ほら、もっと気持ちよくなって下さい」
「やっ…こげな真似…嫌…ぁっ…あぁ…！」
男にも女にも不自由しないここでは、手淫をする必要などなかった。
好きな相手だろうと、望まぬ相手だろうと、彼の肉体を求める人間は後を絶たない。
本当の快楽など感じなくても良かったのだ。
だが、柳生の手は、何か不思議な力でも宿っているかのように、太夫の躯のもう一つの快楽を呼び覚ましていった。
太夫は自分と男の手からもたらされる官能の渦に、悶え喘ぎながら、堕ちていった。
暫くの間、太夫は自らの手で与えられた快楽に茫然としていた。
長襦袢と手と躯と、自らの放った精で汚れている。
はっと気づき、のごい紙で乱暴に手と躯を拭い、髪に挿していた簪を抜き取ると床に放り出した。
襦袢を脱ぎ捨てると、柳生の方を見もせずに布団に潜り込んでしまった。
「おや、どうなさったのですか、太夫」
「知らん」
答える太夫の声は素っ気なかったが、僅かに見える耳が、ほんのりと赤いことを柳生は見逃さなかった。
その隣に柳生も躯を滑り込ませると、薄い躯を抱き締める。
少しだけ抗う素振りを見せたけれど、すぐに太夫は柳生の腕の中で大人しくなった。
「ひどか男やの、柳生…」
「私の名を御存知なのですか？」
驚いた柳生が尋ねると、地獄はくるりと躯の向きを変えた。
悪戯っぽい笑みを浮かべて柳生の目を覗き込む。
「知っとーとよ。やぎゅうひろし、やろ」
「まだ、名乗ってはいなかった筈ですが…」
得意げに笑うと、太夫は柳生の首に白い腕を巻き付けた。
「客の名前くらい調べとーとね」
それは、この気位の高い太夫にしては非常に稀な事だと、柳生は無論知らない。
「俺にあげん真似しよるなんて、ひどか男じゃ」
ぐい、と頭を引き寄せ唇を重ねる。
柳生も、その滑らかな肌をそっと撫でた。
「でも、良かったのでしょう？」
間近で見る太夫の瞳は移り気な猫の様で、妖しい誘惑を湛えて柳生を見つめていた。
「あげな真似されたんは初めてじゃ」
くすりと笑うと、柳生はもう一度太夫の躯を強く抱き締めた。
「照れているのですね？」
「誰が照れるか」
怒ったような声。けれど、柳生の躯に回された腕は優しくて。
私は、貴方が好きになってしまったようです。
そう心に呟く。
けれど、今は言うまい。
もっともっと、時間を掛けてこの人を絡め取ろう。
何時しか逃げられなくなる、蜘蛛の糸のように。
それまでは、こうした客と太夫の関係のままでいい。
いつか必ずその誇り高い口から、私を愛していると言わせてみせましょう。
柔らかな髪を撫でながら、柳生は心に誓った。
「貴方は、可愛い方だ…」
心地よい眠りに落ちながら、柳生は幾度もそう呟いていた。