「に、仁王くん・・・！」
「…しゃーしか。黙りんしゃい」
仁王は長い足を踏み下ろした。
その下には柳生の体があった。
両肩の付け根に一本ずつのダーツを射され、両手足をネクタイで戒められた姿で床に転がされている。
その腹に、女王様然と片足を乗せ、柳生を見下ろす仁王。
「何を…何をするつもりですか、私に」
まだ冷静な柳生の声を、仁王は鼻先で笑い飛ばした。
「ええ格好やの、”ご主人様”」
そう言う仁王は、ほぼ全裸に近い薄物一枚しか纏ってはいない。
相変わらず薄く骨張った体躯に、しなやかなシルエット。幾つになっても美しい。
しかし、その白い肌の上には幾つもの無惨な痕が残っていた。
キスマークや噛み傷だけではない。拘束痕、条痕、刺青…。
それでも、尚輝くばかりに美しいのは何故なのだろう。
「私にこんなことをするなんて…。どうしたのですか？」
床に転がされた柳生は、まだ事態が飲み込めない、と言った顔だ。
白いシャツに、じんわりと赤く血がにじみ出している。
愛して、愛しすぎて、柳生が仁王を攫って閉じこめてから、どれ程経ったことか。
一切の自由なく、光無く、ただ柳生に愛される為に。
柳生は仁王をこの高級マンションに監禁していたのだ。
「…やっと、この日が来た」
仁王は笑っていた。先程までの”ご主人様”を踏みしだきながら。
好きだった。だから、受け入れていた。
溶けるほどに愛されている。そう思っていた。
けれど…。
柳生の支配欲と独占欲には限りがなかった。
愛しているという免罪符一つで、仁王の総てを剥ぎ取った。
意思も生活も、プライドも。
反抗すれば虐待に近いような性戯で翻弄され、蹂躙された。
耐えられない、と思ってから、それでも我慢を重ねてきたが、もう限界だった。
この屈従の日々を終わらせるには、これしかない。
砕け散ったプライドが、心の隅で仁王に自由を渇望させる。
「仁王くん…私を捨てるのですか…？」
仁王の淡い金色の瞳に浮かぶ決意を本気と見たか、柳生が不安そうに聞いた。
にやりと仁王は不敵に笑った。
中学生だった頃から変わらないその笑みを、柳生は心から愛していた。
「もう…まっぴらじゃ。柳生」
簡単な事だ。
服を着て、この部屋を出て行けばいい。
柳生が自由を取り戻す頃には、仁王は誰も知らない空の下にいるだろう。
だが。
仁王の手には、鋭く光るナイフがあった。
「な・・・！ まさか、仁王くん…！」
恐慌が柳生の心を襲った。
直感で一瞬に悟ったのだ。彼が何をするつもりか。
もがいても、痛みと拘束で体は思うように動かない。
これが拘束と言うものだと、初めて柳生は知った。
「柳生…俺ば追ってきんしゃい」
仁王は生涯で最高の笑顔を浮かべた。
ゆっくりとナイフを首筋に宛がう。
「待って・・・！！」
ザッ、と空中に真紅の花が咲いた。
それは生暖かい雨となって柳生の上に降り懸かる。
ガタン、ズルズル…。
大きく後ろに仰け反った仁王の体が壁にぶつかり、そのまま床に倒れ込んだ。
「仁王くん！！」
不自由な体を動かして、柳生は仁王の傍に這い寄った。
「ひろ・・・好いとうよ・・・ひろ、好いとう・・・・」
ひゅうひゅうという喘鳴の下で細い声が呟き、・・・絶えた。
「仁王くん・・・・・・・！！！」
柳生は、自由になった手でナイフを握っていた。
腕も背も傷ついて血だらけだったが、そんなものはどうでもよかった。
愛する人は自らの血の海に横たわっている。
愛している、愛している。愛しているのだ。
仁王も、同じだけ自分を愛してくれたから、今ここにいる。
狂気の愛と、絶望の果てに、静かに横たわっている。
少しだけ細められた目、刻まれた淡い死微笑。
今までのどんな顔よりも美しく透き通っていた。
仁王は、捨てられなかったのだ。その想いを。
柳生は仁王の体を抱き起こした。
「仁王くん…まだ、其処にいるのでしょう？」
動かぬ手にナイフを握らせ、柳生は優しい声で囁いた。
「いけない人ですね…最期まで私を苦しめる…でも、見ているのでしょう？」
静かに柳生は愛用の眼鏡を外し、床に置いた。
「可愛い人…愛していますよ…私には貴方だけです」
冷たい唇にそっと自分のそれを押し当てる。
「君は、寂しがり屋ですから…待っていたまえ、私もすぐに逝きます…」
仁王の手ごとナイフを握りしめる。
「愛しています…仁王くん。君に、永遠の愛を…」
鋭い切っ先が、静かに柳生の胸に呑み込まれた。
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