「痕」

早朝。立海大付属中学男子テニス部部室。
二人の人物が、心地よい朝の空気の中で会話を交わしていた。
「…随分と凄い痕だな」
抑揚のない声が横合いから掛けられる。
相変わらず見ているのかいないのか、表情の読めないチームメイトが、淡々と着替えていた。
「あぁ…猫ですよ」
ユニフォームを頭から被りながら、柳生も淡々と答えた。
肩から胸に掛けての赤い引っ掻き傷が隠される。
所々に血の滲んだような後も窺えた。
「猫、か…。随分と乱暴だな。躾けているのか？」
珍しく、その口調に揶揄するような調子があった。
平然と柳生は答える。
「えぇ。時々、悪戯が酷くて。叱ってはいるのですが」
少し乱れた髪を軽く手で整える。
身だしなみは紳士の心得の一つだ。
「お前が余り構うからだろう。猫は、気まぐれだからな」
シューズの紐を直しながら、柳も柳生の方を見もせずに言う。
「彼」とのことは飽くまでも秘密裡に行っている筈だが、この男なら何を知っていてもおかしくない。
それに、人の秘密を軽々しく口外する人間でもない。
だから、柳生もこの男の前では余り気負うことなく話せるのかもしれない。
「そうですね、次は爪を切っておきましょう」
「その方がいいだろう。お前も痛い思いをしなくて済む」
小さく、柳生は笑った。
秘密めかしたやり取りが、どこか共犯者と言う言葉を連想させた。
「さて、行くか」
そして、部室には誰もいなくなった。

それから暫くして。
「お前、何あんなとこでボケーっと突っ立ってんだよ」
「さては寝不足だろ。昨夜張り切りすぎとか」
「阿呆、そげんやなか」
騒々しく三人の人物が部室に雪崩れ込んできた。
朝練開始時刻ギリギリである。
バタバタとそれぞれのロッカーを開け、着替えを始める。
「うわ…！　どうしたんだよ、それ。痛そうだな〜」
一人が声を上げると、釣られてもう一人も声のした方に顔を向ける。
「うっわ、スゲー。何、そーゆープレイ？」
茶化すような言葉を、仁王は鼻で笑った。
「別に。ジュータンで擦っただけ」
毒々しいほど挑発的な笑みがよく似合っている。
仁王は二人に構わず着替えを続けた。
『…申し訳ありません…』
昨夜の声が、耳の奥で聞こえる。
脳裏に、その時の光景が生々しく甦った。
「こんな…傷が」
シーツのくしゃくしゃになったベッドに放恣に躯を投げ出していた仁王は、
情事の後の気怠さを引きずった声で答えた。
「あ…？そげな傷、舐めたら治るけん」
「しかし…こんなになってしまって」
心配そうな顔で柳生は視線を落とした。
形の良い細い膝は、両足とも擦れて血が浮いていた。
「…申し訳ありません、無理をさせてしまって」
「構わん。お前の方こそ…、・・・っ！」
ぴくり、と仁王の躯が跳ね上がった。
「なんしよっと！」
「すみません、沁みましたか？」
仁王の両足を抱きかかえ、その傷口に唇を寄せていた柳生が顔を上げた。
レンズで隠されている瞳は、今は剥き出しで。
鋭い目が真摯に仁王を見つめていた。
「貴方が…舐めれば良いと言うので」
少しだけ、声に笑いが含まれている。
「よか…俺の所為やし」
どんな顔をしていいか分からず、仁王はそっぽを向いた。
いつも冷静で、時に冷たいくらいな男なのに。
こうやって時々優しくされると、つけあがってしまいそうになる。
「でも…貴方を傷つける私が、許せないのです」
再び、柳生は仁王の膝に唇を寄せた。
愛おしむようにそっと傷口に舌を這わせる。
「っ…！」
ぴりぴりとした傷みに、仁王は躯を震わせた。
自分の所為なのだ。柳生が悪い訳ではない。
こんな、浅ましい傷を付けたのは、他の誰でもない。
柳生の腰の上に跨って、快楽を深追いした、自分の所為。
丁寧で焦れったいほどの愛撫に耐えられなかったのは自分。
もっと壊れるほど抱いて欲しくて。
シャワーを浴び、部屋に戻った途端。
ベッドまで待ちきれず、強引に誘った。
浅ましい獣の欲に、あの一瞬我を忘れていたのだ。
思い返してみれば、夢中で腰を振った自分が、とても恥ずかしい。
限りなく乱れ狂い、組み敷いた柳生の肩に、胸に爪を立てた。
縋りたくて、溺れたくて。
だから、柳生の躯にも仁王の痕が刻まれている。
「…これも、強姦て言うんかの…」
我知らず呟いた言葉に、柳生は顔を上げた。
「貴方が相手でしたら嫌とは言いませんから、強姦には当たらないと思いますが？」
程良く引き締まった足を優しく撫でてやる。
ただそれだけのことにも顕著な反応を返す躯が、柳生は好きだった。
「・・・お前は、しとーなかったやろ？」
少し不安げな表情。
普段の顔からはとても想像がつかない。
躯の位置を変えると、柳生は背後からそっと仁王を抱き締めた。
「貴方といるのに？そんな筈はありませんよ」
耳元からぞくぞくと背筋を滑り落ちていく声が心地良い。
冷えた躯に再び火が点いたようで。
優しく髪を撫でている手を捕らえ、仁王はその指先を銜えた。
繊細でいながらしっかりとした指先を甘く噛む。
からかうように、挑むようにその指をゆっくりと舐める。
背後で、男が低く笑った。
「仁王くん・・・？」
「もっかい・・・して？」
くるりと躯の向きを変え、真正面から柳生を見つめてくる。
頼りなげな顔と、潤んだ瞳。
そんな表情すら、彼一流の策略かもしれないけれど。
それでもいい、と柳生は思った。
溺れてしまおう、彼という魅惑的な罠に。
深く、どこまでも深く、堕ちていく。
「明日、きつくなっても知りませんよ」
骨張った薄い躯をシーツに抑え付けながら言う。
「上等」
にやりと笑う、その顔が好きだ。
この上なく挑発的で、絶望的なまでに柳生を狂わせる。
満足そうに笑うと、柳生は仁王の細い腰を抱え上げた。

それから…それからどうなったのだろう？
仁王の意識は途中で途切れてしまっていた。
必死に思い返そうと意識を集中させる。
「何やってんだよ、仁王。早く行こうぜ」
遠くから、集合を呼びかける真田の声が聞こえる。
何時までも動こうとしない仁王に、焦れた丸井が声をかけた。
「あぁ…」
どうもすっきりしない。
眠りに落ちる寸前、何か言われたような気がする。
その言葉が、思い出せないのだ。
「ほら、また真田にどやされるぞ」
ジャッカルも心配そうに外を見た。
連帯責任、という言葉が彼の脳裏に点滅しているに違いない。
首を横に振り、仁王はのろのろとグラウンドへ向かった。

私を傷つけて、貴方が離れぬ証になるのなら
貴方の総てを刻み込んで下さい・・・

〜Ｅｎｄ〜

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…何じゃろう、この話は…。
どこかに似たようなネタが、絶対にあると思われる。
…ここまでするつもりはなかったんけどねぇ…。
どうしてこうなったんだか。
ネタ、カブってたら、速攻削除します(笑)