「のぅ、柳生…」
しゅる、と仁王はネクタイを外した。
「俺、もう・・・」
それだけ言って唇を噛みしめて俯いた。
それを口にするのは敗北宣言と同じだ。
しかし、柳生は動かなかった。
分厚いレンズ越しに、静かに仁王を見つめるばかり。
この瞬間、総てが決まる。
その一言を口にさせるかどうかで。
だが、柳生は譲歩する気はなかった。
もう、とうの昔に仁王という極上の地獄に堕ちているのだから。
彼の人格の総てを破壊した男。
気付かなければよかった想いに気付かせたのだから。
今更後に引く気はなかった。
彼には、責任を取ってもらわなくては。
拳を握りしめ、震える声が低く呟いた。
「…俺、お前じゃないと、いけん…」
「それで？私にどうして欲しいのですか？」
仁王の躯が震える。
嘘でも駆け引きでもない、真情を口にするのは、悔しかった。
だが、言わなくてはならないのだ。
「・・・抱いて」
「貴方に快楽を提供する、幾多の男達のようにですか？お断りです」
「違う！」
仁王は顔を上げ、叫んだ。
「そうやのうて…恋人として・・・抱いて、くれ…」
柳生は優しい微笑みを浮かべた。
意地悪なほど、一層優しくなる、笑み。
「もしも、嫌だと言ったら？」
「！………何でも、するけん…」
はたり、と仁王の手に一粒の涙が零れた。
言いたくはなかった。こんな惨めな台詞。
だが、もう限界だった。
幾ら相手を替えてみても、躯ならぬ心が満たされない。
与えられる快楽に変わりはなくても、それすらも虚しくて。
嘗ての生活に戻るだけの事だと思っていたのが嘘のようだ。
満足もない。情熱もない。
砂のように乾いた毎日が、さらさらと指の隙間から零れていくだけの日々。
欲しい、欲しい、欲しい…！
欲だけが肥大していく。
充足されない欲望。
俺が欲しいのは、ただ…。
そこに辿り着いて、決死の思いで此処までやって来たのだ。
他の誰でもない、ただの快楽でもない。
彼が求めているのは、柳生比呂士ただ一人なのだ。
「本当に？貴方の意志も何もかも捨ててくれるのですか？」
ゆっくりと頷くのを見たとき、柳生比呂士の胸に、どす黒い歓喜が沸き上がった。
「貴方の何もかもを捨てて、私のものになるのですね？」
「…諄いがよ…。俺にこげん事言わせよって…」
まったく天使のような笑顔を浮かべ、柳生は頷いた。
「貴方が何もかも捨てて私のものになるのなら、私の総ては貴方のものです、仁王くん」
そして、柳生はあらん限りの力で仁王を抱き締めた。
「私だって、…ずっと貴方をこうしたかったのですよ」
「…抱いてくれっと？」
耳元で聞こえる細い声。
柳生は愛しい男の頬にそっと口づけた。
「えぇ。これからはずっと。愛していますよ、仁王くん」
二人は唇を重ね、激しく互いを貪り合った。
触れ合った肌が熱い。
そこから互いの存在が融け混じり合うような気がした。
離れて過ごして来た年月を埋めようとするかのように、何もかもを忘れて、二人は抱き合った。
「貴方の為に、最高の環境を用意しましょう。ただ、ずっと私に可愛がられる為に必要なものだけを揃えてあげますよ」
「・・・好きにしんしゃい」
自由と引き換えに得る愛と快楽は、仁王に目も眩む程の幸福と息苦しさを与えた。
後悔はしない。けれど、捨て去ってしまう過去に、仁王は寂しさを覚えるのだった。