「散華」
「久しぶりやの」
赤也は、突然目の前に現れた大男を睨み付けた。
絡まれるのは別にいい。部活だけでは発散しきれないほとばしるリビドーを、わざわ
ざ買いに来てくれるのは大歓迎なのだから。欲を言えば制服でない時ならもっとあり
がたい。
しかし今日は、今日だけは困る。
盆暮れ正月もろくにない王者立海の厳しい練習・・・それが、明日から全国大会開幕と
あって本当に珍しく休みなのだ。
大好きな先輩の中でも特に捕まらない仁王を、ようやく誘いだすことに成功したの
だ。
特に用もなく町をブラついているだけで楽しい。それなのに厄介ごとなどゴメンだっ
た。
「ニオセンパ・・・」
こいつどうする？と聞いてみようと振り返った赤也の視線の先には、脱兎のごとくこ
の場から駆け出した仁王の後姿が小さくなっていた。
「はぁ・・・っ！？」
後輩見捨てて逃げた？
赤也は思わず目が点になる。
目の前の大男も、予想しなかった行動に驚いているらしい。
「んぁ？なんで逃げると・・・！こりゃ！まさっ！！」
大男は体格に恥じない大声を張り上げ、下駄をけたたましく鳴らして後を追おうとし
た。
「おい、待てよ！てめぇ、誰だよ！」
折角のデートを邪魔してくれた、不愉快な大男を、赤也は怒鳴りつけた。
「ん〜、何ね、ちまいの。俺はまさの彼氏じゃ。あぁ、逃げられる…！」
大男は、赤也のコンプレックスを刺激し、爆弾発言を残すと、人混みの中、軽やかな
フットワークで走り出していた。
「待てって…！」
ついつい、赤也もつられて走り出しそうになる。が、運悪くぶつかってしまった高校
生に、いつもの癖で喧嘩を売ってしまった。
「まさ〜・・・！」
大男の声だけが遠ざかって行った。
「チクショウ！バカヤロー！」
赤也の怒鳴り声だけが、残される。
「まさ・・・！」
王者立海のレギュラーをはっているのは伊達ではない。
追いつけそうで追いつけない千歳は、どんどん角を曲がっっていく銀色の後ろ髪を見
失わないようにするだけで必死だ。
スピードにも持久力にも自信があるが、土地感がないうえに下駄のままではややキツ
い。
先を走る仁王の姿が、またひとつ小さな路地へと続く角を曲がった。
千歳がその後に続いた瞬間・・・・
ぐいっ
腕を掴まれ引き寄せられた。
胸にあたる額の感触。
懐かしい匂い。
「ったく・・・相変わらずじゃのう・・・っちゅうかなんで逃げよるかね・・・」
「逃げたら追うっちゃろ？計算どおりじゃ」
千歳の腕の中では、少し息を乱した仁王がしてやったりという表情で千歳を見上げて
いた。
角を曲がったところで、待ち構えていたらしい。
「まさ、追うてほしかったん」
「阿呆、ケンカっ早い後輩から遠ざかっただけじゃ。それに赤也に見られたらナニ言
われるかわからんき・・・」
ハァ、と息を整えて、仁王は千歳を見上げた。
会わなくなってから、２年の月日を経たというのに、二人の身長差はほぼ以前のまま
だった。
懐かしい顔。
拡大コピーをかけたかのような成長ぶりの千歳に、仁王は思わず微笑んだ。
うっすらと汗をかいた額に、銀の前髪が張り付いているのが悩ましい。
だが、其処にいるのは確かにかつての恋人でありながら、千歳の記憶にある線の細い
少年ではなかった。
少し得意げな表情、猫のような挑発的な瞳。相変わらず白い頬が微かに上気して、ま
るで知らない人間のように艶めいていた。
「まさ…？」
「どげんしたとね、千歳…？」
一瞬、千歳はその元・恋人に目を奪われた。漸く探し当てたと思った男は、別人のよ
うに美しく成長してそこにいた。
そして、仁王はそんな千歳の心の動きなど、分かっていないような顔で笑った。どこ
か挑発的な、艶麗な顔で。
「綺麗じゃ…」
思わず、千歳は茫然と呟いていた。
その瞬間、微笑んでいた仁王の顔が強張る。
至近距離にある千歳の胸を押して身体を離すと、どこか懐っこい雰囲気を醸し出して
いたのをさっさと引っ込めてしまった。
聡い仁王は、千歳の抱いている感情にあっさりと気付いてしまった。
「言うとっけどそういうつもりやなかよ？イキナリ現れよるからビックリしたせいも
あるんやから・・・・・・・」
ぐいぐいと千歳の胸を押す仁王の手。
千歳はその手を自分の大きな手で包み込むように握り締めた。
千歳の記憶の中よりも、少し節ばった仁王の指。
なのにその指先の冷たさだけはあの時のまま。
千歳は軽い気持ちで神奈川まで来た。
本当なら、明日からの大会に向けて東京の学生宿泊施設で最終的な調整をしていなけ
ればならないのだ。
ただ、懐かしい元恋人に会って。
組み合わせのせいで随分先になってしまった対戦への宣戦布告でもして。
そしてちょっとだけ思い出話をして。
そう思うと居ても立っても居られず、気がつけば神奈川までやってきていたのだ。
そもそも嫌いで別れたわけではない。
ひょっとしたらこれを期に交友が復活するかもしれないという下心もあった。
しかしこの仁王の態度に、そんな甘い感傷を抱いていたのは自分だけだったと気付い
てしまった。
「まさ、随分と薄情な事ば言いよる…。俺ん事嫌いとね？あげに懐いてきよったと
に」
ムッとした顔で仁王は千歳を見上げた。
「あん時はあん時。今は今じゃ。俺と千歳は、今は敵同士やけん」
柔らかく握られた手を引っ込めようとするのを、千歳は強く握りしめた。
「つれないのぅ…折角再会した彼氏に対する言葉がそれか？」
仁王はふい、と目を逸らした。きまりが悪そうに細い眉を寄せる。それは、仁王が
困ったときに良く見せる表情だった。
「もう・・・それは終わった事やけん・・・」
その時、男の第六感がピピっと千歳の神経に働きかけた。飄々としてつかみ所のない
千歳だが、決してごり押しだけの鈍い男ではない。
「・・・男か」
「な・・・！」
図星だったのだろう。仁王は白い頬を紅潮させて千歳をキッと睨み付けた。
「新らしか男ができよったけん、俺は用無しとね？」
千歳は切ないような居たたまれないような、そんな顔で少しだけ笑って見せた。
「千歳には…関係なかやろ」
千歳から身を離そうとしながら、ぽつりと仁王は吐き捨てた。
その時、千歳は二人の間に出来てしまった溝を感じた。
思えば、仁王は憧れからか、幼い頃から体格に恵まれた千歳に過剰なまでのスキン
シップをしてきた。
同い年でありながら、どこか歳の離れた兄に甘えるような気分でいたのかもしれな
い。
境界すらわからないまま「そう」なったのは若気の至りと言うほかないが、千歳は幼
いながらもたしかに仁王に欲望を感じたし、抱きしめた時には『これは男を誘う身体
だ』と実感した。
自分と離れた後も、きっと仁王は男に求めらる。そして仁王自身も男を求めていくだ
ろう・・・そういうことを考えなかったわけではない。
二人して手探りで快楽を探りあった当時。
愛情と欲情を夢中で押し付けあう、危うくも淫らな関係。
あの甘く背徳に満ちた日々を、仁王は今や自分ではない誰かと送っているのか。
この、目の前の、美しい元恋人が・・・・・・
そこまで考えたところで、千歳は衝動のまま仁王を肩を壁に押さえつけていた。
「千歳・・・！冗談・・・っ」
「冗談やなかよ。まさを一番知っとったんは俺じゃろが。誰の許し得て他ん男つくっ
とるかね」
「っんな勝手な…！」
飛び出した身勝手な理由に、仁王は反駁した。肩を押さえた手を振り払おうとするが、それは敵わなかった。
「俺は一度も別れるなんち言うとらんっちゃ。したら、これは言うなれば、浮気じゃのぅ」
純然たる力では、仁王は千歳に敵わない。それは、幾ら以前より躯が成長してきたと
いっても変わらない事実だった。
抑え付けた仁王の肩は、千歳が覚えているよりもしっかりとして骨張っていた。
「相変わらず薄い躯じゃの」
トレーニングを積んでもどこか薄い躯。それは、千歳の脳裏にも躯にもしっかりと刻み込まれている。それは、印象も変えることなく、今千歳の手の下にある。
「千歳…！離し…っ！」
もがく躯。長い腕が千歳の躯を押し返そうと胸を押す。
あの時には見せなかった必死の抵抗。それは、抵抗する必要も、拒む理由も無かった
からだ。
けれど、その顔がこの上なく色っぽいと感じてしまったのは何故だろう。
距離と時間は、こんなにも心を離してしまうのか。
そう思うと、千歳の胸にドロドロとした熱い感情がこみ上げてきた。それに名前を付
ける必要などない。
肩を壁に押しつけた勢いに任せて、千歳は仁王の柔らかい唇を奪った。
「んっ・・・！」
反射的に、仁王は強引な男の唇に噛みついた。
抵抗する声など聞きたくない。
ふさいでしまえばいい。
そう思っての行動だったのに・・・・・・
「きさんとはもう終わっちょる」
冷たい琥珀は、射抜くように千歳を見ていた。
痛むくちびる。
脈に乗ってズキズキと。
徹底的な拒絶。
・・・・・・噛み切るかいね、普通。
千歳の唇から流れた血が、仁王のシャツに小さな染みをつくった。
その紅い染みがどんどん広がる・・・錯覚。
目の奥が紅く染まっていく。
「や・・・っやめっ！・・・離せ千歳！！はな・・・っ・・・！！」
なんか随分必死な声出しよるなー
千歳は場違いにものんびりとそう思いながら、自分が仁王の脚の間に身体を捻じ込め
こんで動きを封じ、シャツを大きく引き裂いていることに気付いた。間違いなく自分
の手が、だ。
あぁ、これじゃ強姦じゃ。
何よりも大事にしたいと願った相手を、押さえつけている自分が居た。
引き裂いたシャツを丸めて放り出す。
「そげんそん男が大事とね…」
優しいほどの声で囁きながら、千歳の手はまるで別の生き物のように動いて、仁王の
ベルトを外そうとしていた。
「奴は関係なか…！」
叫び声を上げそうになった仁王の喉に、千歳はぐっと前腕を押し当てた。
細い首を圧迫され、仁王の抵抗の声は聞こえなくなった。
それでも、腕を振り回し、足をばたばたと暴れさせる。
無駄なのに。
どうせ力では俺に敵わんのに。
その無駄な抵抗が愛しくなる。
どこか他人事のように思いながら、千歳はまだ衣服を付けたままの仁王の股間を握っ
た。
「あっ…！」
逃れようと腰をくねらせる姿が、男を誘っているようにしか見えない。この艶めかし
さはどうだ。あの幼ささえ残していた少年は、一体幾人の男を知ったのだろう。
「ふん・・・感じとうと？やっぱまさん躯は正直じゃのう」
教えたのは自分だ。千歳にはその思いがある。何も知らない仁王と二人で、背徳的で淫靡で、それでいてどこか明るい関係を始めたのは、自分なのだ。
それを、仁王はいとも容易く捨ててしまおうというのか。
そんなことはさせない。捨てようというのなら、忘れられない痕を新しく刻み込んでやればいい。
ぎゅう、っと股間全体を強く握ると、仁王の体はびくびくっと痙攣を起こしたように
仰け反った。
拒む気持ちが勝っているのかそこはほとんど反応していない。
思い通りに伝わらない気持ちに千歳の苛立ちが募った。
空いた手で、仁王の白い胸に指先を這わせる。
触れた乳首をぐりっと指先で押しつぶすと、息を飲むようなか細い声が漏れた。
吸い寄せられるように、痛々しく尖ったそこに舌を這わせると、仁王はゆるゆると頭
を振るったが、滑る舌と唾液のぬめる感触から意識をそらせないでいるようだった。
「まさ。気持ちよかろ？」
「・・・く・・・っん・・・やめ、はなせ・・・ちょっと・・・待て・・・」
「まだそげんこつ言いよる」
つかんだままだった股間を揉みしだくと、身体が小刻みに震え出した。
「先にイかしちゃるばい。今の男よりちゃんと良くしたる」
「イ・・・ッ・・・・・・やっ・・・ひ・・・いや、いやじゃ・・・っ・・・！」
「良か声じゃの。あん時より」
乳首の上で唇の動く感触が、仁王の背を伝って腰の奥に落ちた。ぞくりと背を振るわ
せるそれは、紛れもない快感。仁王はそれから逃れようとするかのように躯を捩っ
た。
あの頃は、近くの雑木林の中ででも、互いの躯をまさぐりあったというのに。
今は求めているのは自分だけなのか。
そう思うと、千歳の胸に凶暴なほどの熱い想いが渦巻く。
「やっ…、千歳…！」
千歳の掌に、じわりと熱が広がってくる。
こんな状況で、路地裏に抑え付けられて強姦されようとしているのに、感じているの
だ。このふしだらな躯は。
「やらしか躯じゃ…どいつがこん躯で楽しんどるんじゃ？」
がり、と些か強く小さな乳首を噛むと、腕の下で仁王の躯が跳ね上がった。
「痛っ…！千歳、ちょっ…待ちぃ…！」
仁王の長い腕が男を振り払おうとする。その手が、強く千歳の頬を抉った。
鋭い痛みの後に、じわりとそこから熱が広がってくる
本気で抵抗されたことが引き金ではない。
千歳の頬に走った傷など、その後に来た衝撃に比べればなんてことはない。
「や・・・ぎゅ・・・・・・っ・・・！」
その瞬間。
かぁっと頭に血が登ったことに、千歳自身気付いたかどうか。
助けを求めるような。まるで千歳の知っている仁王ではないかのような、弱々しい声
が聞き覚えのある名を紡ぐ。
気付いた時には、千歳は仁王の身体を引きずるようにして路地の更に奥へと押し込
み、汚れたアスファルトの上に叩きつけていた。
全身を襲う衝撃に身を固くした仁王が見上げると、千歳は完全な無表情で、チャック
を下ろしているところだった。
「・・・・・・ちぃらしくなか」
返事はない。
「犯れたらそれでええんかの・・・？」
抵抗をやめた仁王の身体に覆いかぶさってくる千歳の大きな体躯。
「俺は・・・・・・もう戻れんでも・・・？」
「せからしか」
冷たく言い放たれた声は、仁王の知っている千歳とは別の者のようだった。
仁王の足の間に押しつけられた千歳のそれは、紛れもない雄。猛々しく天を指すそれ
に、仁王は躯がすくむのを自覚した。
だがここで、はいそうですかと犯られるようでは詐欺師の名が廃るではないか。
「ちぃ…後生じゃ…」
弱々しい声が、更に千歳の苛立ちと劣情を煽り立てることに、仁王は気付いているの
か。
油断させておいて逃げ出そうと隙を探るが、幅のない路地。何処かの飲食店のもの
か、大きなゴミ箱が更に逃げ道をふさいでいる。
この状況でも抜け目なく視線を巡らせていた仁王だが、千歳に無言でズボンを下着ご
と引きずり下ろされ、いよいよ退路が立たれたことに焦る。
「やっ…！な、ちぃ、お願いじゃ、やめて…！」
男らしい千歳の眉が不快げに寄せられた。
「せからしかち言うちょる」
それは、正しく獰猛な肉食獣を彷彿とさせる。
仁王の躯を引き裂きそうな程に、その両足を広げる。
千歳の目に、かつて睦み合った男の躯の総てが晒された。男を誘ってやまない、魅惑
的な躯が。
「良か眺めじゃの、まさ」
すべてをさらけ出され、仁王の全身に羞恥という名の電流のような感覚が走った。
それを倍増させる、千歳の視線。乗り上げてくる身体の重み。・・・重い。
萎えたままの自身を、千歳の無骨な指に乱暴に扱きあげられ、仁王の細い腰はびくび
くと逃げをうった。
嫌なのに。そんなつもりじゃなかったのに。このまま進むのはマズいのに。
思うことは色々あるが、強く凶暴な欲を秘めた千歳の視線を前に、窮地から脱する為
の逃げ口上はおろか、お得意の悪口雑言さえ出てこない。
強い視線は、昔の優しい千歳のそれではないように感じ、同時に、本気を出した試合
中のようにも思えた・・・・・・それはつまり。あの頃仁王がどうしようもなく惹かれた瞳
なのだ。
こうなった千歳は止められないだろう。
仁王が嫌というほど知っている、千歳という男。
久しぶりに肌で感じるその存在感に身体が疼かないわけではない。
明確な終りがあったわけではない関係ということも本当だった。
それでも今の仁王は、千歳に心を残していない。それだけは断言できる。
半ば諦めつつも、聳え勃つ千歳自身に、怯える気持ちが隠せない。
無駄だと知りつつ無意識に逃げようとする下半身を、千歳の大きな手が押さえつけ
た。
「おとなししとき」
千歳自身が、慣らされてもいない最奥にあてがわれる。
「先・・・にっ！イかしてくれると違うかったん！」
咄嗟にそう叫ぶものの。
「イかしちゃる。けど、その前にまさを繋がんと」
「やじゃっ…！あっ、ひぃっ…！あぁぁぁーっ！」
拒絶の言葉を口にする間もなく、ぐさりと突き立てられる、千歳自身。
余りの衝撃に、視界が、赤く染まる。一瞬遅れて、涙が迸り出た。
千歳の脳裏にも、同じ赤が広がった。快楽ではない、純粋な欲望。ただこの身体を奪
いたいという、強い願い。
「やっ…！痛っ、ひろっ…！や…、やぁっ…！」
ぐいぐいと強く千歳のものを締め付ける仁王の狭間。じわりと溢れ出る血のぬめりは破瓜を思わせる。
無意識に呼ばれたその名に、千歳は唇を噛みしめた。
「そげにそん男がよかと？なら、もっと呼んでみんしゃい…！」
「あぁっ！やっ、あ…！ひろ、助けて…！」
仁王の美しい顔が涙でぐしゃぐしゃになっていた。止めどもなく溢れ出す涙が、薄汚
れた路地の土に吸い込まれた。
千歳は、仁王の両足を肩に担ぎ上げると、更に奥深く仁王を抉ろうと腰を進めた。
「ひぃっ…！あぁっ、やっ…ちぃっ…！」
かつて無いほど強引に躯を押し開かれる痛み。
引き裂かれる躯の音が、仁王の耳に聞こえる。熱い。灼ける。灼熱する痛みが、躯の
中心を犯す。
じたばたと抵抗していた仁王の手足から力が抜けて地面に落ちた。
最低の陵辱者であるはずの千歳の目にも涙がこみ上げていた。
拒絶の言葉と対になっているというのに、それでも自分の名が呼ばれたことに安堵し
てしまう自分が情けなくてたまらないのだ。
そのやるせなさを拭わんとばかりに、穿つ部分に更に力をこめて突き立てると、痛み
と衝撃で声も抑えられないらしく、仁王の薄い唇からは絶え間なく悲鳴があがった。
投げ出されたままの白い腕は、ドス黒いアスファルトの上でヘビのようにのたうつだ
け。決して千歳の背に回されることはない。
千歳は、頑なに目もそらしたままの仁王の、自分より一回り小さい頭を両掌でがしり
と固定して自分の方を向かせる。
それでも視線を合わせようとしないのに苛立ち、乱暴に、噛み付くようにくちづけ
た。
けれど、応えのないくちづけ。
千歳はすぐに唇を離すと、紅くなった仁王の耳に顔を寄せた。
「俺にしとき・・・まさ・・・」
囁く。甘く。強く。
「わか・・・っ・・・た・・・から・・・も、こんなん、やめ・・・」
「ほんまにわかったと？約束ばできっとね」
「約束・・・・・・する・・・頼む、から、いたい・・・」
「やけん勃っとるばい。どこが痛かと？」
「あそこ・・・っ・・・尻がっ痛い・・・っ・・・血ぃでとるよ・・・なぁちと・・・あァっ
・・・っ！！」
懇願を遮って、強張った首筋を強く吸い上げた。
白い肌に、血が滲みそうなほどに濃く色づく。
罪の痕。
「千歳、痕は…！」
「痕が、なん？」
わざと舌全体を使って吸い痕を舐め上げてやる。
感じているのだろう。少しだけ仁王の躯が強張った。
「痕は、やじゃ。な…千歳ぇ…」
「…俺は俺ん好きなようにやるばい。…こげん風にな」
哀願する声までも可愛かった。こんな声の出し方を教えたのは千歳ではない。それが、堪らなく悔しく、哀しい。
千歳は仁王の細い腰を掴むと、ガクガクと上下に揺さぶった。
「ひぃっ…！やっ、やめ…！あぁっ…！」
股間のモノに、仁王の流した血が絡むのが感じられる。熱いぬめり。流す涙よりも熱
い、血。
抑えようもない叫びが千歳の耳を、心を裂く。
幼い日々、触れ合い求め合った躯が、今千歳を拒むように緊張して、横たわってい
る。
視線を落とすと、赤い筋が幾条も太股を伝っている。その痛々しい姿に、千歳は苦い
悔恨の情を感じた。
「…ほら、まさも良くしちゃるけぇ」
千歳の大きな手が、それでも勃ち上がっている仁王自身をきゅ、と優しく握った。
「あっ…、千歳…」
ぼろぼろと涙を零しながら、仁王は千歳を見上げた。体中が、痛い。熱く脈打って、
痛みに全身が疼く。引き裂かれた其処が、灼けるようだった。
そして、こんな目に遭わされているのは、かつて好きだった筈の、過去の男。一段と
逞しく男らしく成長した、千歳。
何故、千歳にこんな目に遭わされているのか。仁王には分からなかった。
見ると千歳も滝のように涙を流している。
わけがわからないのはお互い様か・・・・・・と、仁王はギリ、とくちびるを噛んだ。
一方千歳は、あっさりと自分とよりを戻すと約束しながら、痕を残すなと繰り返す薄
情な仁王から目を離せないでいる。
可愛かったまさ。
いまや詐欺師なんて物騒な名で呼ばれていると聞いて驚いた。
全国ナンバーワンダブルスの片割れだとか。
そしてそのパートナーと仁王は・・・
優しい愛撫を与えているはずの掌に、知らず力が入る。
張り詰めた中心を握りこまれた仁王は、苦しそうに一度身を捩ると、上体をできる限
り起こして千歳の手元を見た。
その仁王の顔を、千歳は見ている。
真っ赤に泣きはらした瞳。
痛みに歪んだ顔。
汗と涙でどろどろになった細い銀糸が、べったりと、細い顎に、すべらかな頬に張り
付いている。
それでも。
「まさはホンマに綺麗じゃねぇ・・・・・・」
心からそう思って言ったのに、琥珀の瞳は千歳を見て震えた。
俺が・・・怖いんやね・・・
千歳は仁王の左足を持ち上げて、自分の肩にかけさせた。その弾みで起しかけていた
仁王の身体がバタリと倒れ、食いちぎらんばかりに締め上げられて、千歳も、呻く。
ぎしぎしと仁王の躯を軋ませ、最奥へと侵入してくる千歳。
血のぬめりが多少の潤滑剤の役割を果たしてはいたが、それとて所詮は直ぐに乾いて
いってしまう。
それに、仁王は身も心も何の準備も出来ていなかった。
強引に侵入してくる男は、ただの凶器でしかなく。きつく目を閉じ、歯を食いしばる
のが精一杯だ。
「んぅっ、ん・・・あっ…！」
痛みに歪む顔。それすらも美しいと感じる自分の心が、千歳はどうにかしてしまった
のだと思った。
「まさは・・・ほんまに・・・ほんまに綺麗やのぅ…」
軋みながら千歳の心も痛む。引き裂かれているのは仁王の躯と千歳の心だった。
それでも、千歳は腰を動かすのを止めようとはしなかった。
拒むように萎縮した其処を、穿ち、抉り、こね回す。
「あぁっ…！いや、じゃ、ちぃ…！」
「…まさも、感じとうと？」
千歳の手の中で、仁王のそれも熱を持ち、震えていた。
「やらしかね、まさは」
仁王が閉じた瞼の裏に思い浮かべているであろう「誰か」の事を思うと、千歳の胸は
やるせなく疼いた。この痛みも、躯を割り広げている自身も、そいつに重ねて想っているのだろうか。
新たな嫉妬の炎に、千歳の動きは激しさを増した。
足首を持って突き上げる。
無理な体勢で真上を向いた最奥に、突き刺す。突き上げる。
乾きはじめた血のせいで引き攣る入口。固いそこはまるで処女のよう。
「ここはあん時のままやの。どんだけ他のモンくわえ込んだかしれんとに」
それでも千歳がここ最近で抱いたどの女よりも・・・・・・イイ。
中が・・・・・・・・・イイ。
絞り込んでくるような内部の動きを、千歳は、もっと深く感じたくて、ググッと腰を
押し付けた。
ヒィッ、と息を吸うように仰け反り歯を食いしばる仁王。
「中・・・えらい動いとぉ・・・気持ちよか・・・まさ・・・・・・」
「ヒ・・・ッ・・・ィ・・・！アァあーーーーーっ・・・っ！！」
記憶の中の仁王の感じる場所。そこをメチャクチャに突き上げたら、お互いの腹に挟
まれて震えていた、仁王のそこから白いものが噴出した。
勢い余って自分の顔にかかるそれ。愛しい仁王の、愛しい液体。
舐め取ろうかと舌を伸ばしたが、千歳にも限界が訪れてしまった。
仁王の肩と腰に回した腕を、力いっぱい抱きしめる。
思い切り奥まで突っ込んだ状態で、フーーーーっと息をついた。
千歳自身の脈動に、連動するように痙攣する仁王の身体は、イッたばかりとはとても
思えない青白さだった。
未だ止まらないお互いの涙が、お互いを濡らしたままで。
ずるり、と仁王の体内から抜き出したそれは、自身の精液と仁王の血に濡れてまだら
になっていた。
それを見ると、千歳の胸は後悔に乾いた痛みを覚える。
「まさ・・・・・・」
最後の突き上げが激しかった所為か、仁王は長い手足を投げ出し、ぐったりと横た
わったままだ。バラバラに壊され、ねじくれた人形のように。
悔恨が渦巻く胸中を鎮めようと、千歳は仁王の髪に手を伸ばした。
「触んな、千歳…」
ゆっくりと仁王が瞳を巡らせる。怒りと屈辱と憎悪にも似た感情に彩られた、琥珀の
瞳。
その目で、千歳は悟った。仁王の心は、もう決して彼の手の届かない所へ行ってし
まったのだと。
髪に触れようとした手を固く握りしめる。
自分は嘗て愛していた、否、今も愛している男を強引に犯してしまったのだ。其の手
で、仁王に触れる事はできなかった。
それでも、譬え負の感情でも、剥き出しのままの仁王を見る事が出来るのは、何とい
う喜びだろう。恨まれても憎まれても、それが有りの儘の仁王であるのならば。
躯を離し、千歳は身繕いをする。全身に仁王の匂いが染みついている気がした。
今更謝ってもどうなることではないと知りながら、千歳はその一言を口にした。
「まさ・・・すまん・・・」
どうしようもなく溢れる涙を流しながら、一言千歳は言い残し、逃げるようにその場
を駆け去った。
傷つき、血を流したまま横たわる仁王を見ていたら、これ以上の事をしてしまいそう
なのが怖かった。このぼろぼろになった躯を担ぎ上げ、連れ帰り、もう一度あの幼い日々を繰り返したくなりそうだった。
これが総て、悪い夢だったらよかったのに。こんな形で再会が終わろうとは思いもしなかった。
千歳の駆け去る音を聞きながら、仁王はゆっくりと身を起こした。
全身が痛い。ズキズキする。気持ちが悪い。
膝を抱えることも出来ず、項垂れて、仁王は静かに啜り泣いた。
「柳生・・・」
決して助けを求める事の出来ない、恋人の名を呼びながら。