私の名は曹叡。漢丞相曹孟徳の孫で、曹子桓の嫡男だ。
今朝は珍しく父上が経典の講義をして下さるというので、幾つかの書物を抱えて父上の部屋に向かっている。
…何やら邸内が騒がしいようだが、どうしたのだろう。
父上は騒がしいのを好まないというのに、皆一様に青ざめた顔をして邸内を彷徨いている。
「如何したのだ。何かあったのか？」
「あ、これは、若様。いや、その…」
狼狽えている。この男は父上の気に入りの侍医だ。まさか、父上のお加減でも悪いのか？
私は、急いで父の部屋に向かった。
「父上…！」
声を掛けると、中からはいつもと同じ父上の声が聞こえた。
「元仲か。入れ」
「はい、失礼致します」
・・・父上は、ボインだった。
「なななななな…！」
父上は牀の上で乱れた寝衣を直しているところで、そこで私は有り得べからざるモノを見てしまったのだ。
そのまま、数秒、固まった。
「ち、父…ちちちちち…！」
私の美しい父上は、いつから美しい母上になってしまったのだ？！それとも、昔から父上は母上だったのか？
「煩い。…気の迷いだ」
不機嫌に言うと、父上は頭から衾を被ってしまった。
「し、しかし、父上、そ、それは…！」
「・・・乳だ。気のせいだ」
「いや、だって気のせいって…！」
今其処に在るものを、気のせいで片づけて良いものなのだろうか。すっかり私は動転してしまった。そんな馬鹿なことが…！
阿呆のようにその場に立ちつくしていると。
「我が君。お加減がお悪いのですって？」
華やかな香の匂いと共に、美しい母上がやって来た。父上よりも年上なのに、スタイルは抜群だ。私は、この美貌の母が大好きだった。
「甄か…。大事ない。下がれ」
父上は顔を出そうともしない。平静を装っていても、やはり幾分かは衝撃を受けているのだろう。
それはそうだ。朝起きて、いきなり自分に乳が生えて（？）いたら、誰だって平静ではいられない。
「なれど我が君。わたくしは心配でございますわ。夫の看病をするのも妻の努めではございませんこと？」
「…案ずるな。少し休めば治る」
母上は少し不満そうに眉を寄せていたが、父上もこうと言ったら曲げない方だけに、渋々と引き下がった。
「では、お辛くなったら、いつでもわたくしをお呼び下さいましね」
それを機に私も出て行こうとしたら、乳…父に呼び止められた。
「元仲は残れ。少し話がある」
「あ、はぁ…」
何事だろう。瞼の裏には、まだあの衝撃の姿がまざまざと残されている。・・・はっ！それでは、一体下はどうなのだ…？
そこに思い至った時、私は自分が青ざめるのを感じた。
「・・・下らぬことを考えるな」
「はっ…申し訳ありません」
勿論、父は私が何を考えたかなど、お見通しなのだろう。
漸く少しだけ顔を出した父は、いつもの蒼玉の瞳で私を睨んだ。
「良いか、私は軽い病で伏せっている。だが、二、三日で治る。だから、慌てるなと屋敷の者に伝えよ。それから…」
父上は、益々不機嫌な怖い顔になった。
「この事は誰にも、決して口外するな。特に父には、言ってはならぬ」
「お祖父様に？ 何故です？ お祖父様ならば、良い医者を呼んで下さると…」
「言うな」
父上にそう言われて、逆らえる者など、この世にいるだろうか。私は不本意ながら頷いた。
「分かったな。では下がれ。私は寝る」
寝てどうなるものとも思えなかったが、私は静かに頭を下げ、退出した。
しかし、ここはやはりお祖父様に相談するのが一番良いように思う。お祖父様ならば、きっと医者の手配をして下さる筈だ。
…これが病とは思えないが、何もしないよりはマシだろう。私はお祖父様のいる邸に向かった。
曹丕は、床の中で悶々と考え込んでいた。
これは、一体どうしたことだ？何故私に乳が…？…いや、近頃は忙しくて疲れが溜まっていたからかも知れぬ。それとも酒の飲み過ぎか。…どちらにしろ、父に知られる前に何とかしなくては…。女には見境のない父のことだ。私のこの様な姿を見たら…おぞましい。何ということだ。冗談ではない…！
自分の最悪な想像に、曹丕はぞっと背筋に寒気が走るのを感じた。
手を胸に当てる。確かに覚えのある感触だ。それが、自分の胸にあるのはおかしな気分だった。今まで抱いた女より幾分固いように感じるのは、筋肉のせいだろうか。張りと形は申し分ない…自分のものでなければ、の話だが。
どこか冷静にそんな分析をしてみるが、何の慰めにもならない。
確か、益州の方の昔話にそのような話があった。男がある日突然女になってしまったという話だ。下らぬ話だと思っていたが、まさか私がその様な目に遭うとは…。雌鶏が雄鶏になったり、双頭の蛇が現れたりする話ならば幾らでも聞いたことはあるが、男に乳が生えるなど、聞いたこともない。何故だ？何故私がこのような目に遭わねばならぬのだ。何の悪戯だ。
考えるほどに腹が立ってくる。だが、息子も心配していたが、下半身は兎に角無事だった。…恐らく。有るべきものは、其処にある。しかし、体格は元の儘だが、何となく全体に丸みとか柔らかみとか言うものがあるように思えた。
・・・下らぬ。この様なことで、この私が悩まねばならぬとは。
不快げに舌打ちをする。それで事態が打開される訳ではないが。
・・・恐らく元仲は父に言うであろう。父にこの様な姿を見せる訳にはいかぬ。如何にしたものか…。
曹丕は、一向に眠れぬまま、考え続けた。
翌日。
「何じゃ、子桓がおらぬと？」
「はい。今朝お部屋にこのような書き置きが…」
曹丕の父である曹操は詰まらなそうに唇を曲げた。
「何じゃ、折角わしが直々に笑い…いや、見舞いに来てやったと言うに」
賢明な侍医は、さり気なく言われた言葉を聞かぬ振りで無視した。
「は、それで、如何致しましょう、閣下」
「ふぅむ…養生に出かけたのであろう。ま、行く所は大凡の見当は付いておる。捨て置け」
「しかし…」
心配そうな侍医が尚も食い下がっていると。
「それは余りに薄情なお言葉ではございませんこと、お義父様」
「む・・・おぬしか」
沓音も高く現れたのは、曹丕の妻甄姫その人である。勿論彼女は、夫の胸に乳が生えたなどということは知らない。
「お加減の悪い我が君が、お一人で出歩くなど不用心ではございませんか。お義父様は、我が君が心配ではございませんの？」
いつ見てもいい女じゃ、などと思いつつ、曹操はせいぜいしかつめらしい顔を作って見せた。
「出歩ける程度であるのならば、さほどの事はあるまい。どうせ近くの別邸にでも出かけたのであろう。いや、どこぞの名医にでもかかりに行くのではないのか」
「ま。何たる薄情なお言葉。前々から思っておりましたが、お義父様は我が君に冷とうございますわ」
このままでは長くなりそうだと感じた曹操は、さっさと退散することにした。激昂した美女に付き合うのは骨が折れる。ましてそれが息子の嫁とくれば尚更だ。
「ま、良い。わしも忙しい。本復したら顔を出せと子桓めに伝えておけ。ではな」
「お待ちになって、お義父様…！」
美女の叫び声を背に、曹操はそそくさと馬車に乗り込んだ。息子にとっては世界一の名医であろうある男の顔を思い浮かべながら。
さてさて、女が好きかと思えば、あのような四角四面な男が気に入っていたりするとは、何とも無節操な息子だ。
同じように無節操な父は無責任にもそう思うのであった。
その頃。曹丕は馬を駆り、都の近郊にある魏軍の演習地にたどり着いていた。
「徐将軍、御曹司がお見えでございます」
「何？何ぞ異変でもあったか？」
兵卒が曹丕の到着を告げていると、案内も請わずに曹丕が歩み入って来た。
「や…、これは若君。不意のご来訪とは。何か大事でも出来致したのでござるか？」
曹丕はちらりと兵卒に目を向けた。心得た兵は丁寧な一礼を残して足早に去った。
「用ではない、が…」
何と切り出して良い物か分からず、言葉を濁す。ただ、どうせ苦悩するなら、この男にも分けてしまえと思っただけのことだ。
「？ 何はともあれ、お疲れでござろう。不意の事とて、何のご用意も致しており申さぬ。拙者の部屋で宜しうござるか？」
曹丕は尊大に頷いた。
「さ、若君。おくつろぎ下され。食事の用意など致しますか？」
「…要らぬ。お前はまだ軍務が残っているであろう。私は少し寝る。終わったら来い」
「畏まりました。では、若君。ごゆるりと」
徐晃は限りない敬慕の念を目一杯に浮かべながら曹丕を見つめ、そして出て行った。
曹丕は邪魔な飾りを取り去ると、寛衣一枚になって床に潜り込んだ。
さて、あの男はこの有様を見たら、一体どのような反応を返すであろうと思うと、少し楽しみだった。
徐晃と同じ寝台に眠る。何となく安心したのは事実だ。そんな事はない。甘えているなど。そう思いながら、曹丕は昨日からの疲れか、ゆらゆらと眠りに落ちていた。
今、徐晃は新兵の訓練を兼ねて、演習を行っている。戦の絶えないこんな時、前線でなくとも為すべき事は山積しているのだ。
夜。軍務も終え、徐晃が戻ると、曹丕はまだ眠っているようだった。
「若君、お休みでござるか？」
「・・・徐晃、来い」
曹丕は少しだけ上体を起こした。お誘い頂いているのだから、徐晃は遠慮がちにその隣に横になった。頭の下に太い腕を差し入れると、曹丕は背中を徐晃の胸に預ける。
「あぁ…子桓様…」
久方ぶりに抱き合える喜びに、徐晃は両腕で曹丕の躯を強く抱き締めた。
むに。
むに…？
むにむにむにむに。
「どわぁぁぁぁぁっ…！」
普段、沈着剛毅の将軍も、驚愕の余り寝台から転げ落ちる。
「わ、若君…なっ、なっ…！」
不興げな顔をして、曹丕が上半身を起こす。乱れた襟元から、あり得ない二つの丸いふくらみが覗いていた。
「…昨日、生えた」
詰まらなそうに言い捨てる。
「な、何と…おいたわしいお姿に…」
「・・・だからと言って、何故お前が乙女座りで泣く」
「いや…その様なお体になられて…そのご不安は如何ばかりかと思うと、拙者…」
ぽろぽろと大粒の涙を流す。真珠の様な涙の似合う武将など、この世にこの男唯一人だろう。
「ふん…その割りには随分としっかり揉んでいたようだが」
「あ、いや…それは…その・・・驚いたもので」
耳まで赤くして俯く。思った通りの反応がおかしかった。
「…この様に奇妙な事が起こるとはな。お前も気味が悪かろう」
「何と仰せられる！譬えどのような事が起ころうとも、子桓様は子桓様。乳が生えようとも、拙者のお慕い申し上げる子桓様に変わりはござらん！」
思った以上に恥ずかしい言葉に、曹丕まで赤くなりそうだったが、敢えて興味のなさそうな顔をする。どうしてこの男は、と思うのだが其処が好きだから仕方がない。勿論、その様な事は口が裂けても言う曹丕ではなかった。
「・・・まぁ良い。私は寝る」
「は、左様でござるか。では、ごゆっくりお休み下され」
床に躯を伸ばした曹丕に一礼して出て行こうとする。
「・・・来ぬのか？」
「は・・・。あの…宜しうござるか？」
黒髪が、微かに揺れた。
そっと、徐晃は最前の様に隣に躯を潜り込ませると、細い躯に逞しい両腕を回す。
腕に当たる柔らかい感覚が、不思議だった。
「子桓様…触れても…？」
答えぬ儘、曹丕の手が徐晃の手首を掴むと、胸元に導き入れた。
柔らかく弾力のある手応えは、全く女性の乳房そのものだった。
最初は優しく撫でさすっているだけだった徐晃の手が、次第に強く激しい動きに変わっていく。
「あっ・・・」
甘い痺れが、曹丕の身を震わせた。いつもと変わらないと思っていたのに、柔らかな胸を強く揉みしだかれると、痺れるような戦きに、全身がぞくぞくと震える。
愚かな事だと思いながら、この快楽に堕ちていく。
気が付けば後ろから貫かれ、腰を振っていた。
「子桓様…」
囁きかけてくる声は、どこまでも優しい。泣きたくなるほど狂いながら、曹丕は叫んでいた。
「徐晃・・・、もっと…、もっとだ…！」
「此処、でござるか、子桓様…！」
熱い楔が躯を深く犯す。突き上げられ、揺さぶられる快楽が、もっと欲しい。
貪欲に腰を振り、抉り出される灼熱の快楽が、心地よい。
「あぁっ…！ 徐晃…！」
腕を絡め、舌を絡め、柔らかい乳房を徐晃の厚い胸板に押し付ける。もう、どうでもいい。このまま、この優しい腕の中で死ぬまで攻められていたい。
我にもあらぬことを思いながら、曹丕は激しく徐晃を貪った。
この胸に、この熱い猛りに餓え渇いていたのだと、切ないほど胸を狂わせながら。
翌朝。目覚めてみると、あの悪夢のような乳は消えていた。
「宜しうございましたな。子桓様」
にこにこと、徐晃は幸せそうだった。
「ふん、お前は残念なのではないか」
「何を仰有います。やはり、子桓様は其の方が宜しうござる」
視線を己の胸元に落とす。程良く引き締まった、自分の胸だ。
「その割りに、昨夜は大層気に入っていたようだな」
乳は消えたが、其処に徐晃の残した吸い痕ははっきりと残っていた。白い肌に、薄赤い花びらのように点々と。
「いや、そうではござらんが…」
あの手が、口があのように女を愛撫するのかと思うと、何やら胸がむかむかする。嫉妬…？ 見も知らぬ女への嫉妬など、馬鹿げている。
腹立ち紛れに、曹丕は徐晃の頭を一発殴った。
「あ、痛っ…。な、何でござるか、子桓様。何かお気に障りましたか？」
「・・・何でもない」
「はぁ・・・」
何とも言えない表情で、徐晃は曹丕を見つめる。どれ程理不尽な事をされても、徐晃は曹丕に尽くすだけだった。
一体何の夢だったのかは分からないが、兎に角元に戻ったのだから、これで一件落着だった。
身支度を終え、立ち上がると、つくねんと立ちつくしている徐晃に向き直る。
「徐晃」
「はっ。・・・！」
唇を触れ合わせ、舌を絡める。
「子桓様…」
「・・・礼だ」
抱き締めてくる腕に身を任せながら、低い声で呟く。何の役に立ったかは分からないが、この男に抱かれて良かったのだと思う。
「勿体のうござる…子桓様」
愚直なこの男が、好きだ。そう思いながら口にはせぬまま、曹丕は優しい腕から離れた。
「では、私は帰る」
「は。お気を付けてお帰り下され」
曹丕は振り向かずに出て行った。
都に戻り、父に挨拶をしに行く。理由はどうであれ、執務を怠った事は詫びねばならない。
「何じゃ、戻ったのか、子桓」
「は…ご心配をお掛け致しました」
父は無遠慮な視線で息子の躯を注視した。
「もう無いのか。見せてみよ」
…何という事を言うのだ、この父は。
「仰有る事が分かりませんな」
「乳が生えたのであろう。面白い。是非とも見たかったな」
何が面白いものか。そう言うのならば、自分にも生えてみればいいのだ。自分があの日、どれ程悩んだと思っているのだ。
「…悪趣味ですな、父よ」
「ま、良いわ。お前の好きな「奇なること」の実践が出来て良かったではないか、子桓」
ちっとも良くない。そう思っても、顔にも態度にも出さない。迂闊な態度に出れば、この姦雄は態度を豹変させる。
「今回のことは、乳に免じて不問にしてやる。何ならもう暫く養生するが良い。次に生えたら見せに来い」
「お断りです」
もう二度とあの様な事があって堪るものか。おぞましい。・・・あの時の感覚は悪いものではなかったが。
一瞬そう思い、慌てて首を振る。冗談ではない。もう二度と御免だ。
「まぁ良いわ。下がれ」
「失礼致します」
見事に整った一礼を残し、曹丕は父の前を辞した。余り深く追求されなくて良かったが、どうせあの父の事だ。何もかも知っているのだろう。
構うものか。幾分捨て鉢な気分でそう思う。私は私として、在るがまま生きる。父の思う通りになど、決してならぬ。
清々しい陽を浴びながら、曹丕はそう決意していた。
この伝奇は、時の流れと共に風化し、後の世に伝えられる事はなかった。
「乳列伝・完」
〜終幕〜
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やっちゃった（笑）
別に乳フェチじゃありません。
ただ、面白かろうと（笑）
え？面白くなかった？
失礼致しました。
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