「ちぇ〜、俺だってハワイとか行きたかったな〜」
ぷぅっとガムを膨らませながら、丸井がごねる。
言ってもどうしようもないことだが、先輩達が嘗ては飛行機で海外へ行っていたことを知っているから、羨ましくてならないのだ。
「しょんがなかろうが。ガッコで決めたことやし」
バスの一番後ろの座席、丸井と一緒に席に座っている仁王が、興味なさそうに応える。
こちらはこちらで、団体行動そのものが嫌いなのだから、心が浮き立つはずもなかった。
「そうだけどよ〜。今更京都なんて行ってもしょうがねぇじゃん」
人の倍以上の量を持ち込んだおやつをバリバリと貪りながら、丸井が反論する。
「ふん…けど、少なくとも飯は箸で食えるとよ」
「まぁな。俺、ナイフとフォークの使い方なんか知らねぇもん」
ホテルのバイキングが趣味の割に、礼儀作法にはあまり頓着のない丸井だった。
「全く、きさんは色気より食い気やの」
馬鹿にしたように仁王が笑った。
余りにも華やかで、馬鹿にされているのにも気付かない程の笑顔だった。
「俺はお前みたいに色気ばっかじゃねぇの。襲われないように気を付けるんだな」
負けじと丸井も言い返す。
何だかんだで、割と良いコンビなのであった。
その間にも、バスは古都の旧所名跡を訪ねて進む。
やがて、ホテルに到着。
これから食事までが自由時間だ。或る意味、一番楽しい時間かもしれない。
「あれ、仁王何処に行くんだよ？」
「便所」
言い捨てて、仁王は一人ですたすたとトイレに向かった。
その後ろ姿を見送ると、丸井は他のクラスメートと土産物屋に向かうのだった。
しかし、すぐに戻ってくると思った仁王はなかなか姿を現さず、やっと戻って来たときには既に食事の時間になる頃だった。
「遅かったじゃん」
「混んどったけんの」
食堂に向かいながら、丸井と他愛もない会話を交わす。
真のお楽しみはこれからなのだ。
やれあれをくれ、これを寄越せと煩い丸井の攻撃から、仁王は完璧に自分の皿を守った。
とてもこれだけの量で足りる丸井ではないのだ。
体は小さいが、食べる量は人一倍で、しかも食べるのが大好きときている。
「食い意地の張った男とね」
「いいだろぃ。育ち盛りなんだし」
「俺かてそうじゃ」
誰かからせしめた肉を頬張りながら話す丸井。
恐らく被害に遭ったのは、ダブルスパートナーのジャッカル桑原だろう。
常に何となく損をしている、人の良いブラジル人ハーフだ。
食事が終われば自由時間。
やれ女子の所に遊びに行こうだの、トランプをやろうだの、テレビを見たいだの。
三々五々、少年達は散っていく。
群れることが嫌いな仁王は、取り敢えず丸井と一緒にふらふらしていた。
丸井となら、一緒にいて不愉快になることは余りないからだ。
「あ、俺ジャッカルに会いてぇ」
すたすたと丸井はジャッカルの部屋に向かう。
軽く肩を竦めると、仁王も黙ってついていった。
「でよー、絶対大丈夫だって言ったのに、あいつが告ったらさー」
ジャッカル桑原のいる部屋に行くと、そこではクラスメートと談笑するジャッカルの姿があった。
「ジャッカルー！」
「よぉ、ブン太。どうした？」
ドアの所で勢い良く手を振る丸井の姿に気付いたジャッカルは、こちらへ向かってきた。
「へへ〜。ちょっと出かけようぜ」
丸井は上機嫌だ。知らない土地というのは、人を開放的な気分にさせるものらしい。
「何だよ、土産でも買うのか？」
「ん〜、まぁ、色々。仁王はどうする？」
「あ〜…俺はいけん。二人で行ってくるとよか」
そっか、と納得して、丸井とジャッカルは仲良く去って行った。
それをつまらなそうに見送ると、仁王も自分の部屋へと引き取った。部屋に戻るとクラスメートと他愛もない会話を交わす。
何か、馴れ馴れしげに体を触ってくる奴が多いのは気の所為なのだろう。
やがて点呼、消灯。散っていた奴らもばらばらと戻ってくる。
だが、それぐらいであっさり眠ったりしないのが、少年達の若さと言うべきか。
早速花咲く下ネタ猥談。
「Ｄ組の森下、なんか高等部の奴と付き合ってるらしいぜ」
「俺の聞いた話だと、やっぱ年上ってスゲー良いらしいよな」
「やっば、手とか口とか？」
「なぁ、仁王はどうなんだよ、お前、経験多いんだろ？」
クラスメートが迂闊にも仁王に話を振った。
仁王は既に要領よく窓際の端の布団に潜り込んでいた。
「年上の奴はのー、ホテル代出してくれよる」
一瞬、少年達の動きが止まった。
「な、なぁ、それってただでヤラしてくれるってことか？」
「どんな奴なんだよ、そんな気前の良い奴って」
「…テクニシャン」
ワーッと興奮した叫び声を上げる。
気前とテクニックとどう関係あるかなど、この際関係ない。
「フェラとかフツーにしてくれんのかな」
「風呂場でとかよ」
「が、顔シャとか…？」
本能で桃色に染まった少年達の脳は、最早其れ一色になっていた。
更にああだこうだと話は膨らむ。
やれ何組の誰それは誰にでもヤラせてくれるとか。
最近急に色っぽくなったあいつは援交してるらしいとか。
それでも結論は只の一つしかない。「ヤリたい」の一言。
「なぁ、仁王…」
再び誰かが仁王に声を掛けたが返事はない。
見ると、仁王は仲間達に背を向けて安らかな寝息を立てていた。
それを見ると、少年達はこそこそと反対側の部屋の隅に集まった。
「…なぁ、あの噂って本当かな？」
「何だよ、噂って」
「だからー、仁王が男しか相手にしねぇっての」
「えっ・・・」
少年達は異様な目でちらりと、体を丸めて眠る仁王を盗み見た。
「そーいや、あいつって妙に色っぽいよな…」
「何つーか、こう…やらしいよな」
月光が柔らかく照らし出す仁王の躯は、少年達の目には妖しい誘惑者に見えた。
枕の上に散らばる銀の髪、肩のライン、首筋、そして、布団に隠されている腰つき…。
「…俺の兄貴の友達の友達が、あいつと付き合ってたらしいぜ」
少年達はゴクリと生唾を呑み込んだ。
「やっぱな…そうじゃねぇかとは思ってたけどよ」
異様な興奮と熱気が、少年達を支配しようとしていた。
「・・・ヤルか？」
最初に口火を切ったのは誰だったろう。
興味はあるが、誰も先陣を切る勇気がなく、ただクラスメートの顔を窺うばかりだ。
そろり、と誰かが動こうとした矢先。
「おい、お前ら、早く寝ろよ」
ドキーッ！と少年達の心臓が５メートルも跳ね上がった。
消灯後の点呼に来た教師の声だ。
ペッタペッタと遠ざかる教師のサンダルの音。
少年達はイカ臭いため息を吐くと、気勢が殺がれたのか、もそもそとそれぞれの布団にくるまった。
やがて室内には、少年達の安らかにはほど遠い寝息だけが満ちた。
それから暫くして。
ムクリと起き上がった一つの影。
それは、そろそろと仁王に忍び寄って行った。
先程、仁王を襲おうと提案した奴だ。
不意に仁王の口を手で覆うと、肩を抑え付ける。
ぐっすり眠っている仁王が、覚醒する前に犯してしまおうという魂胆なのだ。
だが、案に相違して仁王ははっきり目を見開いていた。
その躯の上にのしかかっても、抵抗さえしようとしない。
「やっぱお前、ヤラれ馴れてるな…」
熱く忙しない息を吐きながら、少年が仁王の耳元で囁いた。
既に股間のものは、勝手にいきり立っていた。
「…成る程、そういう事ですか」
「・・・え？」
少年は我が耳を疑った。その声は…？
仁王のやや高い声ではない、落ち着いた、少年らしさの欠片もない声。
「な…！」
慌てて退こうとしたその手首を捉えられる。
もう片方の手が、猛り狂った少年のモノをやんわりと包み込んでいた。
眼下の仁王にして仁王でない男が、いとも典雅に微笑んだ。
「では、これにて終わりです。…アデュー」
「！！！！！！！」
その瞬間、雑巾を引き裂くような悲鳴を上げる筈の口は、背後から回された手でしっかりと押さえられていた。
哀れにも悶絶した少年が最後に視界の端に捕らえたのは、「柳生」のシルエットだった。
「こげんこつになっとーとはのぅ」
そこにいたのは、乱れ髪の柳生。ではなく。
「ですから、私の言った通りだったでしょう？」
躯を丸めて気絶している少年を鬱陶しそうに押しのけて起き上がった仁王。ではなく。
「此奴らが、こげんこつ考えっとは、意外やったの」
布団に座ると、仁王は心底意外だという顔をしてみせた。
「それだけ、貴方が魅力的だということです」
仁王に化けた柳生が、本物の仁王を抱き寄せて軽く口づける。
一人の少年の前途あるかもしれない未来を奪ったというのに、平然たるものだ。
「分からんとよ。此奴はきさんとは違うっちゃろ？」
「えぇ。ですが、貴方の躯はいやらしいですからね」
そう言うと、仁王は拗ねたような表情を見せた。
他の誰でもない、自分の前だから見せるこの顔が、柳生は好きだった。
「俺、やらしかとね？」
「とても。ですから…」
今度は先程より深く唇を重ね、片手をパジャマの下に滑り込ませる。
滑らかな肌をゆっくりと撫でる。
くくく、と喉の奥で仁王がくすぐったそうに笑った。
「いけんよ、こげん所で」
口ではそう言いながら、柳生の首に両腕を回す。
仁王は、与えられる快楽を拒む男ではない。
拒むことで男の気を引くことを知っている。
「可愛い人だ…」
柳生がそっとその躯を布団に押し倒し。
「あのさー、お前ら、ここ、どこだか忘れてね？」
「おや、丸井君。こんばんわ」
消灯前から姿を消していた丸井が、いつの間にか戻ってきていた。
だが、濡れ場の直前を見られたというのに、柳生は平静そのものだった。
「それによー、その変装解いてくれねぇと、仁王が柳生を襲ってるみたいでキモイんだよ」
「そうですか？偶には趣向を変えた方が面白いでしょう」
「俺には面白くねぇっての。ヤルんなら、外行ってヤってこいよ」
柳生は軽い溜息を吐くと起き上がった。
仁王は不機嫌そうに黙っている。
「抑えが利かなくなりそうですからね、今夜は遠慮しておきましょう」
恋人の頬に口づけを落とすと、柳生は仁王が来たのと同じように窓から出て行った。
「なぁなぁ、仁王」
「なんね？」
丸井はごそごそと仁王の布団に潜り込んできた。
「何時入れ替わったんだよ」
互いに向き合って躯を丸める。
密着はしないけれど、仲のよさそうな姿だった。
仁王を知る者が見たら、現在丸井と付き合っているのかと勘違いしそうだ。
「さぁの、何時からやったかのぅ」
「いつからだよ、ここ着いてからか？」
「さて、そうかもしれんし、朝からやったかもしれん。寝る直前かも」
「教えろよ〜」
仲の良い少年二人のじゃれ合いは、暫く続けられた。
そして寝不足の二人は、翌日のバスの中で熟睡することになる。「仁王くん、ちょっとお伺いしたいのですが」
「どげんしよったと？」
そんな楽しい修学旅行から戻って来た後。
「貴方は私の姿をして、何を口にしたのですか！」
「雑談」
「雑談ではないでしょう！こともあろうにあのような…！」
曰く、実は柳生は、これまで二十人を下らない女を渡り歩いて来たとか。
そのうちの五人は孕ませたとか。
しかもそれらは総て出産させて囲っているとか。
そんな噂がまことしやかにクラス内で囁かれ、女子から白い目で見られるようになったらしい。
「よかろうが。これで、誰もきさんに手を出そうなんち考える奴はおらんようになるけ」
仁王は嬉しそうだった。
柳生は神経質そうに眼鏡を押し上げると、嵐を含んだ声で言った。
「…いいでしょう。では、貴方を孕ませてあげますよ」
「やってみんしゃい」
ぐい、とその腕を取ると、授業すら放棄して、二人の姿は何処かへと消えた。
その後の詐欺師の運命は、我々には知る由もない。〜Ｅｎｄ〜
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