「情欲訪問販売・夜」

ぴんぽ〜ん。軽やかなチャイムの音。
仁王は掃除機をかけていた手を止めた。
インターフォンは取らずに玄関を開けると、思った通りの人物がそこにいた。
「…入りんしゃい」
「おはようございます。それでは失礼致します、奥様」
柳生は、昨日とは違うがまた高価そうなスーツに身を包んでいた。
如何にも紳士然とした姿だが、今の仁王にとっては、悪魔にも等しい。
「お品物はお決まりですか？」
そう言うと、仁王は無言でカタログを差し出した。
ページを捲り、赤で丸がしてある商品を指で指す。
「上がらせて頂いても宜しいですか？」
仁王は何も言わずに頷いた。
リビングのソファーに腰を下ろし、柳生は選択された商品をケースから取り出す。
「こちらですね。どうぞお手にとってご覧下さい」
伸ばした手が、少しだけ震えた。
「他にもサイズはございますが、そちらで宜しいですか？」
反対に、男の声はどこまでも冷静だった。
「あ…これ・・・まちっと太かとが…」
仁王は頬を赤く染め、俯いて言った。
「畏まりました。それではこちらと、こちらで」
こくんと仁王は頷いた。こんなモノを後で利用するなんて、自分で考えるだけでも恥ずかしい。
それなのに、こんな始めて会った男の前でそんなモノを選んでいるのが、もっと恥ずかしかった。
「お支払いはキャッシュで宜しいですか？」
柳生の口調は飽くまで事務的だ。
それに、仁王は救われた気がした。どこぞのAVなら、この場で押し倒されているだろう。
サラサラと領収書にペンを走らせる、柳生の指は長く綺麗な形をしていた。
「ん…？これ、金額おかしかよ」
柳生が書き留めた領収金額は、ローター一本分だけだった。
そう指摘すると、柳生はあの整った笑顔で静かに答えた。
「こちらの分はサービスさせて頂きます。奥様と知り合えた記念に」
「え、けど…」
それから、と言って柳生は更にケースから何点か取りだした。
「こちらはお買い上げ頂いた方に差し上げております。どうぞご利用下さいませ」
ローションのボトルに、下着か何かの入ったらしい小さな袋。
「あ、うん・・・」
益々仁王は赤くなった。
「当社では勿論アフターサービスも万全でございます。何かございましたら、直ぐにご連絡下さい。それとも、ここでご使用方法をお教え致しましょうか？」
「あ…阿呆！なん言うと！」
狼狽えて怒鳴ると、柳生は涼しい顔で微笑んだ。
「これは失礼を。冗談ですよ。…惜しいとは思いますが」
「帰れ！金は払ったんやけん、帰りんしゃい！」
「あぁ、奥様をご不快にするつもりはなかったのですよ。冗談が過ぎたようですね、申し訳ありません」
柳生は深々と頭を下げた。しかし、冗談だと言った割に、その目が案外本気だったのを仁王は知っていた。
「他にお求めの商品がございましたら、是非ご連絡を」
「せからしか。早う帰り」
これ以上この男に深入りしたくない。そう思い、仁王は務めて素っ気なくそう言った。
「本日はありがとうございました。それでは、失礼致します」
以前と同じように端整に一礼すると、柳生は静かに出て行った。
「・・・あいつ…ヤバかと」
ほっと安堵の溜息をつきながら、仁王は一人呟いた。油断したら呑み込まれる気がした。そんな気になったのは久しぶりだった。

その日の夜。
することもしたし、後は寝るだけ、という段になって仁王は昼間買った物を思い出していた。
「・・・・・・」
少々躊躇いながら寝室に放り出してあったそれに手を伸ばそうとした時、電話が鳴った。
「…はい、もしもし」
どこかほっとしながら、仁王は電話を取った。
『こんばんわ、奥様。ご機嫌麗しう』
「な…！きさんは…！」
電話から流れてきた声は、昼間のセールスマン柳生の声だった。
『そろそろお使いになる頃ではございませんか？ゆっくりとレクチャー致しますよ』
「バカ言うな！きさんは変態か」
図星だっただけに、仁王は狼狽した。
『…ローションを手に取って、塗るところではありませんか？』
「何ば言うとね…」
震えが来た。不快であり不安であり、そして欲情でもあった。
ぞくりと背筋を震わせるのは、優しげでいながらねっとりと絡みつく男の声だった。
『大事な場所ですから、傷を付けてはいけませんね…ゆっくりと挿入して下さい。あぁ、最初は細い方が宜しいですね』
「あ・・・」
何かが、ぞわりと体の奥で蠢き始めた。いけない、この声に従ってしまっては。
ぶるぶると震える手が伸ばされ、バイブに触れた瞬間、仁王は叫んだ。
「阿呆！変態！」
ガチャン、と叩き付けるように受話器を置く。また掛かってくるかと思ったが、暫く待っても電話は鳴らなかった。
心底良かったと思いつつ、体を貫く快楽に誘われ、仁王は今度こそそれを手にした。
「はっ…あん、…あぁ、ん・・・」
ローションでぬめる手は、精液に濡れた千歳の手を思い起こさせる。
深く、もっと深く抉り、かき回して欲しい。それなのに、無機質なオモチャは、快楽の源を掠めるばかりで。
「あ…いや、いやじゃ…」
堪らなくもどかしい。ペニスを擦り上げ、背後に回した手でバイブを動かしながら、求める満足が得られない。
「や…、千歳、早う…！」
きつく閉じた瞼の裏に、絶頂の瞬間見えたのは、愛する夫の顔ではなく、…あろう事か柳生の顔だった。
「あ・・・俺…なして…」
荒い息の下、今見えた幻に茫然とする。
昨日今日逢ったばかりの男の顔を、何故思い浮かべてしまったのだろう。
自己嫌悪に陥りながら、シャワーを浴びる。
ただ擦って出すだけでは満足できなくなった自分の体が恨めしい。
バスローブを羽織り、冷蔵庫を開けるとよく冷えたビールを取りだした。
そこに。ぴんぽ〜んと軽いチャイムの音。
「…誰じゃ、こんな夜更けに」
仁王は無視を決め込み、リビングのソファーに腰を下ろす。よく冷えたビールで体の火照りを冷まそうと、仁王は一気に缶ビールを飲み干した。
間を置いて三度チャイムが鳴り、そして止まった。チャイムが止んだと思ったら、今度はけたたましく電話が鳴り出す。
「・・・今度は何じゃ？」
心の中で、もう寝てます、と思いながら無視していたが、電話は一向に鳴りやまなかった。
初めは無視していた仁王だが、余りにもしつこいその呼び出し音に苛ついてくる。
「せからしか！」
受話器を取り上げ、思いっきり怒鳴りつけてやる。
『開けて下さいませんか、奥様』
「な・・・！きさん、また…！」
それは、柳生の声だった。まるで、仁王が風呂から上がるのを見計らったように電話を掛けてくるとは。
ぞっとした。それでは仁王のことを見張ってでもいるようではないか。
「き、きさん、どこにおっとね？！」
『勿論お宅の前でございますよ、奥様。早く開けて下さいませんか？』
相変わらずバカが付くほど丁寧な口調で、いとも冷静に柳生は答えた。
「なして、・・・なして家の前なんぞに…！」
受話器の向こうで男が小さく笑った。
『奥様にお会いしたいからに決まっているでしょう。開けて下さらないのですか、仁王くん？』
「巫山戯んな！こげな時間に、なん言うとね」
『開けて下さらないのならば、窓を破って差し上げても宜しいのですが。それでは貴方がお困りになるでしょう、仁王くん』
優しげな声と丁寧な口調で、何と恐ろしいことを言う男だろう。
「・・・開けん言うたら、どげんする気じゃ？」
『ですから、不本意ですが窓を破らせて頂きますと申し上げましたが。…あぁ、少し冷えてきましたね、早く開けて下さい』
何なのだろう、この男は。何故こんなことを言ってくるのだろう。昨日始めて逢ったばかりだと言うのに、何故こんなことをされなければならないのだろう。
こんな時は変質者がいると警察にでも駆け込めばいいのだろうか。けれど、まるで何かの呪縛にでも掛かったように、仁王はふらふらと玄関に向かっていた。
いけない、と理性は必死に訴えかけるが、仁王の手は震えながらゆっくりと伸ばされ、鍵を外していた。
「こんばんわ、仁王くん」
「馴れ馴れしか」
柳生はドアを閉めると、馴れたような手つきで鍵を掛けた。
「おや、これはまた素敵な姿ですね」
はっと気付いたら、仁王はバスローブ一枚を羽織っているだけだった。
「…俺に何の用があるとね」
「用ですか？決まっているでしょう？」
ぐいっと強く男の腕が仁王の腰を抱き寄せた。
「あっ…！」
「…貴方を抱くためですよ」
耳元で囁かれた言葉は、信じられないくらい熱かった。
「やじゃ、離せ…！」
「離しません」
仁王の抵抗を、柳生は難なく抑え込んだ。なよやかそうな外見からは判断できないが、その腕は力強く仁王を壁に押しつけた。
「んっ・・・！」
男の唇が、仁王の其れを塞いだ。
千歳は太陽と潮の香りのする、熱く情熱的なキスをくれる。
だが、柳生のキスは頽廃と背徳が甘く漂っているようだった。
「んんっ…！」
食いしばった歯を舌先がなぞる。噛み千切ってやろうと口を開けた途端、根元まで差し込まれた。
「んっ…ふ、ぅ・・・」
容赦なく柳生の舌は仁王の口を犯した。熱い。体が、心が燃え上がっていくようだ。
何故だろう。今まで誰を相手にしてもこんな気持ちになったことなどなかったというのに。いつも冷静に男を観察し、翻弄していたのは仁王だったのに。
壁に抑え付けていた両手から、徐々に抵抗の力が薄れていくのを感じ、柳生は掴んでいた仁王の手首を離した。体を密着させるように強く抱き締める。
「はっ…ぁ・・・」
長いキスから漸く解放され、仁王は潤んだ瞳で男を見た。
「いやじゃ、俺は・・・」
「ふふ…。どうしました。これからたっぷりお慰めしてあげようというのに」
柳生は悔しいほどの余裕を見せて微笑んでいた。
膝から力が抜けてしまいそうだ。気を取り直して、何とか優位に立たなければ。この男は油断したら呑み込まれる。仁王はそう直感した。
幾分よろける足で、仁王はゆっくりと寝室へ向かった。
この男の目的は俺の体の筈だ。今までの幾多の男どもと同じように。それならば、まだ巻き返すことができるだろう。堕として狂わせて虜にして、言いなりになったら捨てる。そうすればいいだけの話だ。…大丈夫だ、俺ならできる。
そう考えをまとめながら、静かにドアを開けた。仁王の背後でぽっかりと奈落が口を開けているのを知る由もなく。

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…予告通り中編になってしまいました(--;
家に上がり込むだけでこんなに長くなるなんて…！
恐るべし、柳生(笑)
仁王〜！ストーカー法で訴えろ！(笑)
あ〜でも楽しいvv
やっぱ紳士は慇懃無礼がイイね！（いいのか？）