「情欲訪問販売」

ぴんぽ〜ん、と慎ましやかなドアチャイムの音。
人妻である仁王は気怠げに躯を起こした。
「誰じゃ、んな朝っぱらから」
ぶつぶつと不機嫌に零しながらインターホンを手に取る。
「何者じゃ」
『初めまして、奥様。わたくし、株式会社ラヴィアンローゼの者でございます』
モニターの向こうにいるのは、地味だが高価そうなスーツを着た若い男だった。
表情を読ませない眼鏡と、如何にも堅気な七三分け。これ以上はないほど営業マンにしか見えない。
「らう゛ぃあんろぉぜ〜〜〜？」
何だろう、「バラ色の人生」なんて如何にも胡散臭い名前は。
『はい、少々で結構ですから、お時間を頂けないでしょうか』
「はん…押し売りか」
『押し売りではございません。奥様のお気に召さなければ、即座に退散させて頂きます』
仁王はにやりと笑った。
結婚する前は「詐欺師」の異名を取った彼のことだ。
詐欺紛いの押し売りと、言葉の遣り取りをするのも或いは楽しいかもしれない。
何しろ、愛する夫が漁に出かけてしまって、ここ暫くずっと退屈していたのだ。
ま、見た目も悪くないしの、と心に呟いて、仁王はドアを開けた。
「ありがとうございます、奥様」
セールスマンは、有り得ないほど端正なお辞儀をして、玄関に足を踏み入れた。
「私、こういう者でございます」
内ポケットから取りだした名刺には、何の飾りもなく。
「株式会社ラヴィアンローゼ　第二営業部部長　柳生比呂士」と印刷されていた。
この若さで部長、等と勿論仁王は感心したりしなかった。部員がいなくても部長を名乗ることなど造作もない。
「あ〜、こりゃご丁寧に」
後でゴミ箱行きやな、と思っていた仁王を、じっと見つめる瞳。
お決まりのセールス文句が飛び出すのかと思ったが、柳生と名乗ったセールスマンは何も言わなかった。
「・・・なんね？気色悪か」
「あ…これは失礼を。余りに奥様がお美しかったもので」
慌てもせずに柳生はそう言ってにっこりと微笑んだ。
「ふん、つまらん」
「そうでしょうね、奥様は言われ馴れておいででしょうから」
いよいよ笑みが深くなる。
明るい栗色の髪に、端整な面立ち。長身細身で、如何にも優雅な雰囲気の漂う男だ。
確かにこの顔で微笑まれたら、亭主に飽きた暇な主婦は心躍らせるだろう。
だが、この男、手強い、と仁王の第六感が叫んだ。
大方化粧品か高級ブランド（ニセモノ）でも売りに来たのだろうが、其の手には乗るものか。心の中で、仁王は決意を固くした。
「で？」
「初めにお断りしておきますが、決して奥様に購買を無理強いしようという訳ではございません。お手にとって頂いてお気に召さなければ、二度とこちらを訪れることはございませんので、ご安心下さい」
「ふ〜ん、ま、そりゃええ心がけやの」
勿論、と言いたげに柳生は深く頷いた。
「それにしても、素晴らしいですね、この様に立派なお宅に、お美しい奥様。旦那様はさぞご満足でしょう」
おっと、最初は煽てて持ち上げる作戦で来たか。この後でオトして商品を買わせようという魂胆だろう。
「ま、それなりじゃ」
言葉少なに答える仁王にも構わず、男は先を続けた。
「しかし、奥様は満足しておいでですか？」
「あ？俺に何の不満があるとね？」
柳生は笑みを崩さずに更に言った。
「聞くところによりますと、この近辺では旦那様方が漁に出られている由。それでは奥様がお寂しいのではありませんか？」
「・・・別に淋しくなか」
柳生は首を横に振った。
「お隠しになっても分かります。若くお美しい奥様」
いとも自然に柳生の右手が仁王の左手を取った。払いのける間もなく、ごく自然な動作で柳生はその手の甲に口づけていた。
「せからしか、離しんしゃい」
「…あぁ、これは失礼を」
一層本音の見えない笑顔が、却って怖い。
失礼、と一言断って、柳生は玄関の上がり框に腰を下ろした。
自分だけ立っている訳にもいかず、仁王もつられるように座る。
「そうは仰有っても、好き勝手に振る舞うわけにもいかず、充たされない日々を送っているのではありませんか？」
確かに結婚前なら、街に出て寄ってくる男を選り取り見取りで連れ歩いて貢がせることもできたろう。
けれど、殊勝にも仁王は結婚してからは他の男に身を任せることは決してしなかった。
だから、今はそろそろ限界を感じつつある。
それでも我慢しようと決めたのは、こんな自分でも良いと言ってくれた旦那の為。
しかし、ここまで来て仁王はうすうす感づいた。この男が何を言わんとしているか。
もういい。ここまでだ。仁王の理性が警鐘を鳴らした。これ以上深入りしたら、危ない。
「…で、結局何ば売りたかとね」
それなのについ口をついて出た言葉は、破滅への第一歩だと気付いたかどうか。
柳生は飽くまで温雅と見える笑顔を崩さずに言った。
「ご興味がお有りですか。其れは良かった。では…」
大きなアタッシュケースを開け、男は電動玩具を取りだした。
あぁ、やっぱり。…これで手に取ろうものなら、昼メロみたいに襲いかかって来るに違いない。
仁王は、どこかで安堵していた。これなら、断れる。こんなモノに頼る必要はないときっぱり言えば済むことだ。
「こちらが当社の新製品でございます」
そこからは、お決まりの商品説明だった。形がどうしたの、素材が何だの、伸びるやら曲がるやら震えるやら。
そんな言葉は、仁王の耳には届かなかった。ただ、グロテスクに誇張され、肉の快楽を抉り出すようにデフォルメされたソレに見入るばかりだ。
じん、と腰の奥に熱い欲が疼き出す。一体どれ程の間御無沙汰だったのだろう。
腰が砕けるほど可愛がってくれた千歳の熱を思い出す。
「・・・ちぃのが太か…」
ふらふらとそのうちの一本に手を伸ばした。
「旦那様はさぞかしご立派なものをお持ちなのでしょうね」
その一言でハッと我に返る。
「い、要らんわ、こげなモン…！」
羞恥と秘かな欲情に、仁王の白い頬が赤く染まった。
「今でしたらもう一本プレゼントするところなのですが…。今此処でご決断なさるのも難しいかと存じますので、宜しければカタログだけでもご覧下さいませ」
「え・・・？」
肩透かしを喰らった気分の仁王だった。普通のセールスマンなら、ここで絶対に理性を何処かへ追いやって、仁王に襲いかかるだろう。
あろうことか、柳生は既に手際よく折角並べたバイブの類をケースに戻していた。
『何かヤバかち思うたけんど…俺の気のせいか？』
自分の美貌と色香に自信があるだけに、仁王には全く理性的な柳生の行動が信じられなかった。
「お美しい奥様、お望みのものがございましたら、こちらの番号までお掛け下さい。何時なりと出向いて参ります。奥様のご担当は、私柳生が務めさせて頂きますので」
再び柳生は仁王の左手を取って、優雅に其の手に口づけた。嫌味ではない自然な動作で、どうしても払いのけることができない。
「それでは、本日はお話下さって、まことにありがとうございました」
柳生はケースを手に立ち上がると、優雅に頭を下げた。
「…俺は買うとは言うとらんっちゃ」
「それでも結構でございます。奥様にお会いできただけで、ね」
柳生の整った顔が、更に端整な笑みに彩られる。
「最後に、奥様のお名前をお教え下さい」
「…仁王雅治」
すんなりと答えが出たのは何故だろう。未だに座り込んだままの仁王の膝には、毒々しいほどカラフルなカタログが一冊。
「それでは、ごきげんよう」
一礼し、するりと柳生は玄関を抜けていった。
「何じゃ、あいつは…」
体の中で暴れ回る熱を宥める術もなく、仁王は暫く立ち上がることもできなかった。

同日、夕方。海の向こうにそろそろ陽も落ちようかという頃。
ヴヴヴヴヴ、と薄暗いホテルの一室の空気を震わせる振動音。
ディスプレイに見慣れない番号が表示されているのを確認して、男は通話ボタンを押した。
「はい、柳生です」
『あ・・・あの…』
男の口元に会心の笑みが浮かんだ。
「これは奥様。ご決心はお付きですか？」
『…あ、あのな、明日、また来んしゃい…』
「明日で宜しいのですか？これからでもお伺い致しますが」
ある種の期待に胸を弾ませながらも、声にはまるでそんな気配も見せず、男は言った。
『夜は、いけん。…やけん、明日の朝、来んしゃい』
恥ずかしいのに尚も強気な声で電話の向こうの声は答えた。
「畏まりました。それでは、本日と同じ時刻にお伺い致します。…仁王くん」
『え・・・？』
「いえ、それでは、明日」
男は通話を終了すると、深く椅子に腰を下ろし、低く悦に入った笑い声を洩らした。

〜to be Continued〜

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はてな千紗様へ。
あのめくるめくスパイシーな夜から生まれた産物です(笑)
続きはまた後程。
この後はお決まりのパターンで怒濤のように進んでいきますよ〜(笑)
いや〜、ノるとどうしてこんなに筆が速いんだろうなぁ(笑)