「紳士はネクタイ・プレイがお好き」
その日、丸井は部活に行くのに気が進まなかった。
昼間、とんでもない場面を或る人物に目撃されてしまったからだ。
その人物は温厚で冷静で折り目正しくて、でも何か怖いモノを丸井は感じていた。
「なぁ、だからさ、アレはフカコーリョクだったんだってば」
「成る程、不可抗力で私の仁王くんを押し倒したのですね」
「いや、そうじゃなくってさぁ」
二人切りの部室。どうしてこういうときに限って誰もいないのだろう。
幾度目か、必死に丸井はくどくどと柳生に状況説明を始めた。
「な、だから、モノの弾みだって」
「…分かりました。もう結構ですよ」
ならいいけど、とか何とか口の中でごにょごにょと言いつつ、丸井はグラウンドへ飛び出した。
これ以上ツッコんだら、何か恐ろしい事が起こるような気がしてならない。
あいつ、時々紳士じゃねぇよな、なんて思いつつ。
「後は、仁王くんですね…」
誰もいない部室、一人呟く紳士。室温が確実に二度は下がった。
珍しく少し打っていこうという柳生の言葉に、仁王は何の疑問も抱かず頷いた。
他の部員は皆帰り、鍵当番の柳ですら、柳生に鍵を預けて行ってしまった。
誰もいなくなったのを見済まして、柳生は上がりにしようと言った。
二人切りの部室はしんとして言葉もない。衣擦れの音が白々しい。
だらだらと着替えている仁王の背後に立つと、柳生はその薄い躯を抱き締めた。
「なんしよっと？」
「仁王くん、貴方は酷い人だ・・・」
「？」
愛おしくて、離したくない。誰にも触れさせたくはないのに。譬え戯れですら。
「貴方の総てが、私を苦しませる」
「なん言うとか。着替えられん、離しんしゃい」
そう言われても、柳生は益々強く仁王を抱き締めるだけだった。
「少しは私の苦しみも分かって下さい」
「やけん、何の話じゃって…」
いい加減に振り解こうとしたその両腕を捕らえると、柳生は結んでいなかったネクタイで仁王の両手首を後ろ手に縛り上げた。
「柳生、巫山戯んのもええ加減にせぇよ」
「巫山戯る？ いいえ、私は巫山戯てなどいませんよ」
ちゅ、と音を立てて仁王の首筋に吸い付く。
たったそれだけなのに、ぞくぞくする快感が背を滑り落ちていく。
その微かな震えを、柳生は見逃さなかった。ベンチに腰を下ろすと、ぐいとネクタイを引いた。
強い力に平衡を崩した体は、容易に柳生の腕の中に倒れ込む。
その体を膝の上に座らせると、制服の上から仁王の股間をまさぐる。
「やっ…、柳生・・・」
本気で抗えば、柳生だとてこんなにあっさりと仁王を思い通りにすることなど出来はしない。
しかし、仁王は何故だか抵抗しようとはしなかった。
逃げようとする素振りは見せても、それは飽くまでも見せかけだけ。逃れようと身をよじっていても、その仕草も一つの媚態にしか見えなかった。
柳生は左手でネクタイの端を掴んだ儘、片手で仁王の体を愛撫する。
ボタンも掛けられずにはだけられたシャツの下に右手を滑り込ませ、胸の突起を摘む。
「ねぇ、仁王くん、もっと、佳い声で鳴いて下さい…」
低い声で囁きかける。レンズの奥の瞳はどんな光を宿しているのだろう。
「阿呆…誰が、きさんの思い通りになんぞ…」
その手を受け入れていながらも、尚も挑むように仁王は答えた。
「・・・！」
裸の胸に、柳生の爪がぎりぎりと食い込む。血が滲むほどに強く。
細い眉根を寄せ苦悶の表情を浮かべながらも、唇の線は挑むように歪んだままだった。
そんな顔が、柳生は好きだった。総てを受け入れているように見せながら、容易く屈しようとはしない、その傲慢な心が。
ネクタイを握った手を更に強く引くと、薄い体は弓なりにしなる。
「仁王くん、…私は貴方だけが愛おしい…」
耳元で低い声で囁くと、仁王は不自由な体を捻って背後を向こうとした。
「や、ぎゅう・・・」
赤い舌が唇から差し出される。
恭しく、柳生はその舌に吸い付いた。
舌を絡めるその濡れた音まで、人気のない室内に響き渡るようで。
仁王の切れの長い目が細められた。虐げられ、辱められているのに、どこかその表情は嬉しそうで。
「約束して下さい、仁王くん、もうこれ以上誰にも触れさせないと…」
懇願するような声。けれどそれは絶対の命令にも等しいのだ。
他愛ない戯れに過ぎなくても、柳生は誰かが仁王に触れているのを見るのに耐えられなかった。
「そうでないと、次は何をするか分かりませんよ？」
「やってみんしゃい」
そうして彼は笑った。うっとりする程挑発的な瞳で。嘲るように歪んだ唇の線が、煽情的に美しかった。
「あぁ…、まったく貴方という人は…」
その笑みには、柳生ですら苦笑するしかなかった。
「素敵な人だ…。そうやって私を誘惑する」
空いている片手が器用に動いて、仁王のズボンからベルトを抜き取った。
するりと仁王のしなやかな首に其れを輪にして掛けると、思い切り引く。
「あっ…！」
忽ち白い頬に血の色が上る。
少しだけ柳生は手を緩めた。窒息しないように、けれど息苦しさは感じるように調節する。その辺りの手加減は馴れたものだった。
苦しそうな吐息、非難するような瞳の色。そんなものに、柳生はそそられた。
ベルトから手を離すと、其れはだらりと仁王の首から垂れ下がったが、外れはしなかった。
「可愛いですよ、仁王くん」
ベルトと首の境目にキスをする。
愛おしくて、このまま壊してしまいたいと、抱く度に思うのだ。
「ひろ・・・」
仁王が柳生の胸に体を預けてくる。
柳生は布地越しにゆるゆると仁王の股間を撫で回した。
もどかしくて焦れったい動きに、仁王が催促するように躯を揺らす。
「そんなに欲しいのですか？随分といやらしい人だ」
甘い声。仁王の好きな声。けれどそれは、時に冷たく時に意地悪になる。
背後から囁かれる声は、今とても意地悪で、まるで見知らぬ人間のようだった。
決して強い刺激を与える事なく、やわやわと撫でるように執拗に其処をまさぐる。
くすぐって燃え上がらせるのだけが目的の様な、しなやかな指先の動き。その動きはまるで…。
「…きさんは痴漢か？」
「余り大きな声を出しては見られるぞ？」
かつて「紳士」からは聞いたことのない言葉。興奮に上擦った抑えた声には覚えがある。
「なっ…、離せ…！」
身を捩ると、柳生がぐい、とネクタイを引いた。大きく後ろに仰け反る躯。耳元で低い声が囁く。
「いいのか？暴れたらお前の恥ずかしい姿を見られる事になるだけだが」
背筋がぞくりときた。それは良く知っている男の声の筈だ。仁王を戒めて絡め取っているのは柳生であって、他の誰でもない。
振り向いて、大声を上げて、一言止めろと言えばいいだけだ。
それなのに、仁王は動けなかった。声も出せずに躯を震わせるばかりで。
腰を、尻を、太股を、容赦なく撫で回す手に怯えながら、いつしか焦れったく感じ始めて。
「よせ・・・」
囁く声が、自分のものではないくらい頼りなかった。
少し乱れた吐息の下から押し出される声は、却って期待に震えているような艶まで含んでいる。
「感じているのか…？いやらしい奴だ」
すっと手が動いて、既に硬く尖った乳首をきゅ、と摘み上げた。
「・・・っ！」
躯が震えた。躯の奥が熱く疼いてくる。
「やっ…、離して…」
弱々しい、快楽に震える声。どうしようもなく息が上がり、媚びすら含んで零れ落ちる。
「離して…？離してもいいのか、こんなになっているくせに」
ゆるゆると柳生の手が仁王の股間を撫でる。
堪らなく焦れったくて、躯の奥に熱が蓄積されていく。早くどうにかして欲しくて、思わず仁王は腰を揺らした。
耳元で、男が喉の奥で笑ったのが聞こえた。
「成る程・・・こっちがいいのか」
「ひぁっ…！」
ぐいっと仁王の最奥を押し上げる指。布地ごと指先が侵入してきそうだった。
「やじゃ、やめぇ…」
力無くふるふると首を横に振る。この状況が、感じている自分がとても嫌で、それでも逃げようとしないのがもっと嫌だった。
これが、何時も出会う痴漢ならば、絶対にこんなに感じたりはしない。頭の芯は冷めたまま、相手の行動を冷静に観察して、用意した罠にはめるだけだ。
だが、今仁王を縛り付けているのは細いネクタイなどではなく、大好きな男の声。
今までに聞いたことのない乱暴な言葉で仁王を辱めていく、声。
「やっ…、もう、いけん…っ！」
そろそろ仁王自身が限界のようだった。ズボンの上からでも柳生の掌に熱が伝わってくる。
くすりと小さく笑って、柳生は仁王の前をくつろげると、下着の中に手を差し入れた。
「たったこれだけで、イキそうか？淫乱な躯だ」
「そげん事…」
柳生のしなやかな指が、苦しそうに息づく仁王自身をゆるりと握った。
「では、何故こんなに濡れている？」
「あっ…！」
敏感になっている亀頭を、ぬるりと柳生の指が滑る。それは、明らかに仁王の先走りであった。
「いやらしい奴だな、だからこそこんな目に遭っているんだろうが」
ぺろり、と柳生は仁王の耳朶を舐めた。
「やっ…もう・・・」
「では…イけ」
その瞬間、男の手が先程とはうって変わった力強さで動いた。
「あぁっ…！」
強く握られ、擦り上げられて、息を整える暇もないうちに、仁王は柳生の手の中で達した。
「あ・・・はぁ…っ…」
柳生の上でぐったりとする仁王。時折快楽の余波にぴくぴくと躯が痙攣している。
「良かったですか、仁王くん？」
囁きかける声は、既にいつもの「紳士」のものだった。
「この…変態が…！」
「・・・そう言うことを言いますか、この口は」
すっと柳生は仁王のズボンの中から手を引き抜いた。
「きさん…ほんとは痴漢じゃろ。馴れとうとよ」
「…同じ電車でしたら、きっと。こんなに可愛い人を一人で放っておけますか？」
「阿呆！変態、痴漢！」
減らず口を叩くのが、愛おしい。柳生は仁王の肩に甘く噛みついた。
「あ！そうじゃ、服…！さっさと手、離しんしゃい」
「さて…どうしましょうか」
仁王は眉を寄せた。このままでは、服に染みがついてしまう。
早う早う、と子供が駄々をこねるようにじたばたと暴れる。
「…あぁ、もう。仕方がありませんね、可愛らしい」
ちゅ、と首筋に口づけると、柳生は仁王の手首を戒めていたネクタイを解いた。
おー痛、とか呟きながら、仁王は思い切りよく下着とズボンと纏めて脱いだ。一瞬にして全裸になる。首にぶら下がったままのベルトに手を掛けた。
「仁王くん・・・！」
柳生は目の前に惜しげもなく晒された白い躯を背後から押し倒した。
「やめぇ！」
「…却下です」
細い腰を抱え上げ、先程の精液を秘所に塗りつける。
「やっ…あぁっ、ん・・・！」
既に柳生のものも硬く勃ち上がっていた。それを、いきなり柳生は突き入れる。
「あっ…や、ん・・・」
「今度は、私をイカせて下さいね」
獣のように、柳生は恋人を犯し始めた。二人が部室を出たのは、結局夜の９時過ぎであったという。
〜Ｅｎｄ〜