「契約」
〜ジャスティスは滅んだ〜
〜総てのギアは活動を停止せよ〜
それは、醒めぬ悪夢からの解放だったのか。
それとも、新たな悪夢を知らせる警鐘だったのか。
彼を縛り付けていた呪縛は消えた。
自らが為した行為への激しい憎悪と悔恨が、彼を苛んだ。
それでも、植え付けられた本能から来る怒りは消されることもなく。
どちらにも傾くことができず、彼の苦悩の日々が始まった。
もう、嘗てのように人を殺すことに嬉々とすることはない。
呪われた力を十全に発揮することはできないだろう。
彼本来の「優しさ」が総てを許そうとしている。
だが、望まずして得た力を捨てることも出来ない。
それが、苦悩の原因だった。
「ジャスティス復活を企んだ張本人」となれば、世界各国から追っ手がくることは必定である。
人を殺すことは嫌だが、人の意のままに自らを拘束されるのは、もっと嫌だった。
あんなことは、もう二度とされたくはない。
彼は、今となっては数少ない完全な人型のギアである。
いや、恐らく世界に類を見ないであろう。
もしも捕まったら、世界中のあらゆる機関で生体実験にかけられることは疑う余地もなかった。
それ故、失われた「殺戮本能」に代わる、新たな力を見出す必要がある。
そう考えたのは、自分が国際指名手配されていると知ったからだ。
そこで選んだのは、魔界から魔物を召還することだった。
汲めども尽きぬ法力が、エグゼビースト以外の魔物を召還することを可能にしてくれる筈だ。
「・・・夢魔か。これがいい」
彼が選んだのは、淫夢魔であった。
どうせ私には、食わせるほどの夢などないのだ、そう小さく呟いた。
『あんたが新しいマスター？』
魔法陣から呼び出されたのは、女の形態をしていた。
「…サキュバスか？」
『そーよぉ。…あら、いい男じゃなぁい？』
サキュバスは、挑発するような上目遣いで目の前に立つ男を見上げた。
「これから、私に従え」
クスクス、とサキュバスは気に障る笑い方をした。
『いいわよぉ。でも、代償は頂くからね』
「…いいだろう。望みを言え」
『うふふ…それは後で頂くわ。あなたの名前は？ マスター』
「テスタメントだ」
くるり、とサキュバスは空中で一回転した。
『テスタメント、ね。これからよろしくね、マスター』
視界にぼんやりと靄がかかるように暗くなっていく。
眩暈がしてくる。
天も地も溶け、まるで、何もない混沌に放り出されたかのような錯覚。
遠い、何もかもが。
『じゃあ、頂くわね』
天から地から、響き渡る声がそう言った。
視界一杯に広がる炎。
そう思ったのは、目の前の焚き火とその向こうにある赤いジャケットの所為だろう。
荒野で二人、野宿の途中だった。
あの時、崩壊する建物から放心する彼を救い出したのがこの男。
一緒に来いとも何とも言われなかったのに、テスタメントは何故かその後を追っていた。
ジャスティスの支配から解けた今、この男への殺意はかなり弱まっていた。
けれど、それでも「味方」ではないのに。
また、ソルも何も言わずにテスタメントの好きにさせていた。
もしかするとその存在など目に入っていないのではないかと思うほど、無関心な態度だった。
「ソル・・・」
「…何だ？」
「いや・・・」
そんな会話にならない会話が幾度繰り返されたことだろう。
どうしてか分からぬまま、テスタメントは彼に付いていく。
それが、堪らなく苦しくて。
何よりも苦しいのは、ソルが彼の存在をまるで無視しているかのような態度だった。
血の海の中で幾度も彼を犯したのはこの男だというのに。
平然と無視し去って、こうして無防備な背中を向けている。
それが、恨めしくて悔しくて。
胸が、何故か酷く痛む。
…私を見てくれ…
喉の奥で堰かれている言葉。
私を見て、どうして欲しいというのか。
…ワタシヲ ミテ…
…ワタシヲ ダイテ…
こんな躯にしたのは、お前なのだから。
何故、傍に置くだけで、視線も投げてくれない。
私だけが、あの炎の様な一時に囚われているのか。
お前にとっては、大したことではなかったのか。
ただの気まぐれ、慰みに過ぎないというのか…！
ふらりとテスタメントは立ち上がった。
「ソル・・・」
「あん？」
起きようともせず、ソルは気のない返事を返してきた。
その目の前に黒い衣服が蟠る。
視線をあげると、テスタメントは夜の大気に惜しげもなく白い裸身を晒していた。
「何の真似だ、そりゃ？」
「ソル、…私を・・・」
不意に自分の姿に羞恥を覚えたか、両腕を前で交差させる。
「…断る、と言ったらどうする」
テスタメントの赤い瞳が、きっとその男を睨み据えた。
堪えていた想いが、溢れ出る。
「お前が…！ お前があんな事をしておきながら…！ 今更知らぬと言うのか！」
その細い首を、グッと男の手が掴んだ。
そのまま自分の下に引きずり寄せる。
「あっ…！」
「・・・どうなってもしらんぞ」
ソルはテスタメントの片足を肩に担ぎ上げると、ジーンズの前をくつろげた。
それは、何故か既に熱く滾っていた。
「あぁぁっ…！」
テスタメントの内部を充たし軋ませる、炎の楔。
だが、テスタメントの女は充分に潤みきって、さした苦痛もなく男を受け入れていた。
「あっ…あぁ…いや、ソル…あぁっん…！」
先ほどまでの無関心が嘘のように、激しくソルはテスタメントを責め立てた。
その腰に突き上げられる度、テスタメントはあられもない嬌声を上げる。
いやらしく濡れた音が、周囲に響き渡る。
「ソル…！ あぁ、ダメっ…死ぬ・・・！」
「…てめぇが誘ったんだぜ？」
容赦なく細い躯を責めつけながら、テスタメントの耳元で囁く。
その声は冷たく無慈悲で、それだけに一層テスタメントの心に突き刺さった。
ソルの手の思うまま、躯の向きを変えられ、淫らな姿態を晒す。
それも、みな自分が望んだことだ。
「あぁ、ソル、…ソルッ・・・！」
男の楔に貫かれて、テスタメントは身悶え、泣き咽んだ。
「ソル…私を…殺して…」
どうかこのまま。
恥辱と快楽の底で、私を抱き殺して。
「いいぜ。殺してやる…」
力強い男の手が、幾体ものギアを屠ってきた手がテスタメントの細首に掛かった。
「あぁっ…！」
気付けば、そこは小暗い部屋の中。
周囲には何もない。誰もいない。
先ほどと全く変わらない姿勢で、テスタメントは立っていた。
「な…何だ、今のは…！」
あんなこと、していない。
あんな、目を背けたいほどはしたないことを。
『ウフフ…確かに頂いたワ♪』
どこからかサキュバスの声がする。
「サキュバス、待て！ 今のは一体…！」
『契約料よ。あなたの胸の一番深いところにある、一番淫らな願望(ゆめ)をもらったの』
どこかで、カラスの羽ばたきが聞こえた。
「違う、サキュバス、私はっ…！」
『美味しかったわ。また貰いに来るからね、マスター』
羽ばたき音は次第に遠ざかり、やがて、消えた。
「私は…あんな・・・」
後には、自らの心の奥を覗かれたテスタメントが、呆然と立ちつくしていた。