「僕の手料理」

いつもなら、という言葉がぴったりするくらい、それは数を重ねてきた。
恋人同士の楽しかるべき逢瀬の日。
しかし、その日に限って迎えに現れる筈の恋人が姿を現さなかった。
いつも時間には厳しくて、約束の１０分前にはやって来るというのに。
セイランは初め腹を立て、次に不安になった。
もしかしたら、という漠然とした思いは、家を出る頃には確信に変わっていた。
早足で彼の元へ向かう。
一応ノックをしてみるが、思った通り反応はない。
「ヴィクトール…！」
ドアを開け、彼の人の寝室へ向かう。屋内に火の気はない。
「ヴィクトール」
室内で、ヴィクトールはフラフラしながら着替えをしていた。
「…何をしているのさ」
「…あぁ、すまんな、セイラン。遅くなってしまって」
少し喋るだけで呼吸が切れる。心なしか頬も赤い。
「…風邪だね」
「いや、そんなことは…」
言い訳をしようとするヴィクトールを、セイランは強引に押し戻した。
「ほら、横になって。
いつも僕が具合が悪いなんて言うと、すぐ暖かくして寝てろとかって言うくせにさ」
てきぱきと、腹を立てた風に言いながらも、セイランは恋人を寝かしつけてしまった。
「…すまん」
小さな声で謝る、その声色が、常とは余りににげなく。
「まったく、いい年して、風邪ひいたって素直に言えないの、貴方は」
そう言いつつ、布団を重ねて掛けてやるセイランだった。
「本当に…すまんな…」
謝りつつ、既にゆるゆると眠りに落ちていくヴィクトールだった。
「…本当にさ、…どうして貴方は僕を心配させるんだい。
誰に対してだって、こんな想いを抱く事なんてなかったのにさ」
額にそっと手を当てると、思った通り熱かった。
セイランは、取り敢えず何か恋人のためにしてやろうと立ち上がった。

ヴィクトールが目覚めてみると、部屋は暖められていた。
布団が重いほど掛けてあり、額には濡れタオルが心地よい。
「これは…あいつがしてくれたのか…？」
熱で重い頭でぼんやりと考える。
あの、家事のことなどまるで興味のないセイランが、と思うと、無性に嬉しかった。
何しろ、興が乗れば、食事もまともに摂らない有様なのだ。
取り敢えず様子を見るために起き上がろうとしたところへ。
「何をやっているのさ。寝ていなよ」
ドアを開けて、当のセイランがやってきた。
手にした盆には、暖かそうな湯気を上げる皿が載せられている。
「セイラン…」
ガタガタと寝台の脇に椅子を引いてくると、セイランは身軽く腰を下ろした。
「ほら、どうせ何も食べてないんでしょう？
だから、ちょっとキッチン借りたからね」
盆に載せられていたのは、リゾットのようなものだった。
「ほら、口開けて」
スプーンに料理をすくい、口元に持ってくる。
「いや、自分で…」
「僕が折角食べさせてあげるんだから、ちゃんと食べて」
一回りも年下の恋人にそう言われて、誰が無碍に断れるだろうか。
熱で赤い顔を更に赤くして、ヴィクトールは料理を口にした。
ふと視線を向けると、繊細な指には幾つか切り傷ができていた。
「セイラン、これは…」
そっと皿をどかし、その手を握る。
「あ…、何でもないよ。離して」
慌てて手をひっこめようとするセイラン。
だが、ヴィクトールは離さなかった。
「俺のために…ありがとう」
す、とその傷を唇に当てる。
微かな、血の味。
もう誰の血も見たくないと思っていたのに。
苦いはずの血が、何故か甘いような気さえして。
「…だって、僕は貴方だけが大事なんだから。…当然でしょ」
キツイ目が、甘えるような上目遣いでヴィクトールを見上げた。
「あぁ…分かっている。俺も、お前だけだから…。
ありがとう、セイラン…」
「…ねぇ、僕のこと、愛してる？」
ヴィクトールは細い体を強く抱きしめた。
「愛している、…セイラン」
言葉と、キス。
愛しくて、何よりも誰よりも愛しくて。
これ以上の言葉など、いらなかった。

後日談。
「ねぇ、ヴィクトール、僕の料理、美味しかった？」
ヴィクトールが全快した後、セイランがそう聞いてきた。
暫く迷った末、ヴィクトールは正直に答えた。
「………スマン、実はあの時は喉が痛くて余り味が分からなかったんだ」
セイランの機嫌は一気に斜めになった。
「いいよ、もう。二度と作ってあげないから！」
ぷいと横を向いてしまう。
そんな我が侭な態度も、カワイイと思ってしまう自分に苦笑する。
「…だから、今度はちゃんとした時に食べさせてくれ」
ぽん、と肩を叩く。
「……まぁ、僕の気が向いたら、ね」
微かに頬を赤くして、セイランはそう言う。
「あぁ、楽しみ待っているよ」
くしゃ、と藍の髪を撫で、肩を抱き寄せてやった。
しかし、その言葉を悔いる日が来ようとは、ヴィクトールは思っていなかったのであった。

〜Ｅｎｄ〜

******
雨月様に差し上げた、６０６ＨＩＴのキリバン。
「どちらかの片一方が風邪をひいて…」というものでした。
ラブラブって苦手〜といいつつ、結構楽しんで書かせて頂きました♪
しかし、できは…かな？
おまけにタイトルをつけるのを忘れたし。
どーしよーもないな。