眠り姫

「眠れる闇の使徒」

さて。
ここアンヌンでは、人の世にして幾世代が過ぎ去ったことだろう。
住む者は変わらず、漫然と時だけが消費されていく。
しかし、変わらないと言っても、それなりの変化はあるわけで。
現在の所、ナデューとクレイドルの関係がそうであった。
珍しくクレイドルが自室でくつろいでいると。
「よぅ、会いに来てやったゼ」
ノックもせずにいきなり現れる男、それがナデューだった。
「…何だ、お前か」
最早その無礼を咎める気にもならないのは、長年の慣れのせいだった。
「ホラ、これ、飲もうぜ」
ナデューはそう言って、どん、と大きな酒瓶を卓上に置いた。
「…酒か？　お前にしては気が利いている」
「おう、リルダーナでな、巻き上げてきたンだ」
そう言いつつ、ナデューは既にソファーにふんぞり返っている。
「…まあいいだろう。待っていろ」
小さな溜息が一つ、クレイドルの薄い唇から洩れた。
こうして訪ねてくることを拒めなくなったのは何時からだろう。
猫のように音も立てず、しなやかにクレイドルが動く。
その度に、テーブルの上にはグラスやつまみが並んでいった。
ナデューが栓を抜くと、部屋中に強い酒精の香が広がった。
芳醇で豊かな香り。
それだけで酔ってしまいそうな。
「んじゃ、乾杯、ナ…オレとオマエに」
琥珀色の酒が満たされたグラスを傾けると、ナデューは一息で飲んだ。
「…フン…」
何も言わないのは、クレイドルが照れている証だった。
黙ってグラスに口をつける、が殆ど飲んではいない。
それもその筈。
クレイドルはナデューのような「海量」でもなければ、
シトラのような「ウワバミ」でもない。
いや、もしかするとあの子供ロキよりも弱いかもしれない。
だが、酒は好きだった。
特に、こういう強い酒を傾けている自分の姿を「カッコイイ」と思っているのだ。
大して飲めないのに。
だから、酒の誘いを断ったことはない。
無論、ナデューもそれを期待しているのは明らかであった。
「…いい酒だな」
「あぁ…」
二人は暫く黙ってグラスを傾けていたが、不意にクレイドルが立ち上がった。
「お？　どうしたンだよ」
すとん、とナデューの隣りに腰を下ろす。
白い頬が華やかに紅く染まっていた。
きつい目も酒に潤み、微かな炎の揺らぎが見え隠れしている。
「ナデュー…」
白い腕をナデューの首に回し、唇を重ねる。
深く舌を絡め、強く抱き合う。
長いこと、二人はそうしていた。
「なンだよ、どうした、クレイドル？」
漸く二つの影が離れ、ナデューがそう尋ねると。
くー…。
クレイドルの薄い唇からは、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「なンだ、もう寝ちまったのかよ？　しょーがねェなァ」
そう言ってナデューはニヤニヤと笑った。
実は、いっそあどけない程のこの寝顔が好きだったのだ。
ちょっとつつくだけで、容易くその体はナデューの膝に横たわった。
「まったくよ…カワイイじゃねェか」
ククク…と喉の奥で笑う。
桜色の肌に乱れた長い髪が、妙に扇情的だった
このままずっと、この寝顔を見ていたかったが、そうも言っていられない。
ナデューはクレイドルを抱き上げ、ベッドに寝かせた。
「…ったくよ、いつもはあーんなに張りつめた顔してやがるってのに。
何なンだよ、この無防備な顔はよ。オレを誘ってやがンのか？」
つくづくとその寝顔を見下ろしながら呟く。
微かにクレイドルの唇が動いた。
誰かの名を呼んでいるようだ。
「……オレのこと、夢の中で呼んでやがるのかよ」
あまりの可愛らしさに、ついむらむらと欲情がこみ上げてくる。
自分の欲望に素直なのがナデューの良いところである。
「おい、…起きろよ、クレイドル」
寝たままでは面白くないので、起こしてしまおうと軽く頬を叩く。
いつもなら、それだけでもなにがしかの反応を返す。
…が。
どうしたことか、今日は何の反応も示さない。
いつもよりキツイ酒だったからか。
そう思って、ナデューは今度はやや強く揺すぶってみた。
しかし、やはり起きる気配はなかった。
「どうしたってンだよ。…おい、クレイドル」
頬を叩く、揺する、ついでに耳も引っ張ってみたりする。
だが、それでもクレイドルは起きなかった。
ただ、深く微かな呼吸の音だけ。
いつの間にか、桜色だった肌まで白く冷たく変わっていた。
青白い瞼は閉ざされたままで、ナデューの呼びかけにも応えない。
まるで、死人のような…。
「な、なンだよ、こりゃァ…この酒の所為かよ？」
突如、不安がナデューを襲った。
もしも、このまま目を覚まさなかったら、どうすればいいのだろう。
昔、リルダーナで聞いた怪談のように、百年も眠り続けたら…。
悪魔だから百年が千年であっても待つことは不可能ではない。
だが、愛しい者を目の前にただジリジリと待つことなどゴメンだった。
「チクショウ、これに、何かありやがるのかよ」
まだ瓶に半分以上も残っていた酒を一気に呷る。
喉を灼く感覚は美酒特有の物で、何の変哲も感じられなかった。
これが原因ではないとしたら、一体何が。
「おい、起きろって、クレイドル、なァ…！」
肩を掴み、揺さぶっても、愛する者は目覚めなかった。
「何てこった…」
…が、自失する時間は短かった。
ナデューは部屋を飛び出し、シトラの部屋に駆け込んだ。
「なんだい、こんな時間に。ウルサイねェ…」
ナデューは、シトラがぶつぶつ言うのにも耳を貸さず、大急ぎで事情を説明した。
「…え？　クレイドルが起きない？　あんたが寝かせてないからじゃないのかい」
「違うって！　そりゃ、ちっとは寝かせてねェかもしれねェけど…。
じゃなくて、マジに起きねェんだよ！」
必死の形相のナデューを面白そうに見ているシトラ。
興味が湧いたのだろう、クレイドルの部屋へ一緒に行くことにした。
「…ふ～ん。ホントに、起きやしないねェ」
一通り試してみた後、シトラもお手上げ、と言った声で呟いた。
ナデューの混乱ぶりも知らぬげに、クレイドルはすやすやと眠ったまま。
何の夢を見ているのだろう、時折ナデューの名を呼ぶ。
「これが問題の酒かい？　ふ～ん、聞いたことのない銘柄だけど…」
瓶のラベルを確認していたシトラは、やがて何かに気づいたようだった。
「…ナデュー、オマエ、キスしな」
「あン？　こんな時にナニ言ってンだよ」
為すすべもなく、クレイドルの寝顔を見つめていたナデュー。
これまた珍しく、不安そうな表情を浮かべていた。
「いいから、さっさとおし。そうすりゃ、全て解決するさね」
そう言ってシトラはくるりと背を向けた。
「ま、恋人同士のジャレ合いを見てるほど、私もヒマじゃないからね」
「おい、待てって、シトラ…！」
ナデューの声など無視して、シトラは出て行ってしまった。
ナデューは寝台の傍らに立った。
「…キス、か…」
安心しきったような表情を浮かべて、横たわるクレイドル。
伝説の、いばらの森に眠る美姫のような…。
きっと、ナデューと一緒の夢を見ているに違いない。
「…だがよ、夢の中のオレより、現実のオレの方が、ずっとイイ男だぜ。
だから、…起きろよ、クレイドル。…愛してるぜ」
そっと唇を重ねる。
胸の中で激しい想いが爆発する。
そのまま二度三度とキスの雨を降らせた。
「………ナデュー」
「クレイドル…！」
眠り姫は目を覚ました。ほんのりと頬が紅くなっている。
「…お前、何度すれば気が済むんだ」
そう言いつつ、クレイドルはナデューの首に腕を回した。
「何度だってしてやるゼ、オマエがオレの所に戻ってくるンなら、よ」
「…バカ」
これから、恋人達の熱い夜が始まる。

「しかし、『Destiny KISS』とはね…。
誰が作ったか知らないけど、面白いことを考えるもんさ」
運命の口づけ、この世に唯一人の恋人からのキスは、あらゆる魔法を解く。
いつだって、姫の眠りを覚ますのは、王子のキスなのだ。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　～Ｅｎｄ～