「恋の毒」

夢と覚醒の区別も付かぬ儘、目を開けてみれば最早夜明けを迎えていた。障子越しに清々しい朝の光が差し込んでくる。
だがしかし、目覚めた石田三成は朝の光さえ翳るほどの暗澹たる思いに愕然としていた。
「あれは…夢か」
独りごちる声は苦い物を含んでいる。
三成の脳裏には、先程までうとうとと見ていた夢の残滓がこびりついていた。
のし掛かる体。抑えつけられた手。執拗に首筋を舐める舌の感触さえ、まだ我が首に残っているようで。女の様に下肢を開いて、あられもない声を張り上げて。
『嫌だ、左近・・・！』
叫ぶ声に答えもない儘、夢の中の自分は男の愛撫に身悶えていた。
そんな事実はどこにもない。それなのに、こんな夢を見てしまうなど。
左近は家臣だ。高禄を出して召し抱えた頼れる家老で、それ以外の何者でもない。
恋などと、決して思わない。絶対の信頼、それだけだ。それだけで、いい。妓楼に上がるのが何より好きで、女に囲まれているのが絵になるほど似合う男など、誰が恋うたりするものか。
初めて出会ったあの山崎の地で、その見事な男振りに敵兵を屠ることさえ忘れて見入ったことなど。三成は自分に認めようとは思わなかった。
男に恋など、してなるものか。
そう思いながら、暗い気持ちに迷い込む。日の光さえ照らしてはくれない、心の闇に踏み惑う。
こんな晴れぬ思いを抱えたまま、また今日も左近に会わねばならぬのは、苦痛にしかならなかった。

「どないしはりました。難しいお顔しはって」
「ん？俺はいつもこんな顔さ」
「まぁ、嘘ばっかり」
ころころと笑う女の膝を枕に、左近はちびりちびりと杯を舐めていた。
舌に馴染んだ酒の味も、何故か最近は酷く苦い物に感じられる。
この女とは近頃馴染みになった。線の細い体つきと、日に透けると明るく映える髪が気に入ったものだ。床の中の振る舞いも、一見穏和な外見からは想像も付かない程奔放で、そこも良いと思っている。
しかし、左近は何か遣り切れない想いが胸の中で燻っているのを感じていた。それが一体何であるのか、突き詰めようとする余り、物も言わずに黙り込んでしまうことが増えているらしい。
「どこのおなごの事を考えてはりますの。憎らしい事」
控え目な笑い声を噛み殺しながら、女は言う。切れ長の吊り気味な目尻に、艶ではない純粋な感情を見る。冷たいほどに冴えたその目が、誰かを思い出させた。
「お前の事さ」
同じように笑いながら返す。嘘ばかり紡ぐ唇。確かに、今ふと思い出したのはこの女ではない。女どころか…。
「そら嬉しおすなぁ。せやけど、最近の島様はまるで何方かに恋でもしてはるようどすわ」
「恋？よしてくれよ。もうそんな歳じゃないさ」
苦笑に左近の男らしい顔が歪む。まさか、恋だって？この島左近が。
「せやけど島様、恋なんて歳でするもんやおへん。誰も思わず踏み迷うのが恋の道、て言いますやろ？」
恋。恋だなんて。そんな馬鹿な。
左近はぱたりと杯を置いた。
人を恋した時は幸せだと、女は言った。苦しくて切なくて、胸がどきどきと高鳴って、それが楽しいのだと。ただそこにその人がいてくれるだけで嬉しいのだ。
「恋、か・・・」
女の声が遠くなる。代わりに左近の胸の深くから、一つの顔が浮かび上がる。冷たく脆い、冴えた美貌が。
殿・・・。
これは、恋なのか？

「では、この件はそのように取りはからいましょう」
「うむ。頼む、左近」
いつもの様に二人向かい合い、治世の事を話し合う。どこにでも見られる主と家臣の姿。
だが、それぞれの胸の内で荒れる想いを互いに知りもしない。
三成が小さく右の肩を回した。肩が凝ったのだろう。左近はいつもの様に三成の背後に回ると、凝った肩を揉みほぐしてやろうと手を伸ばした。
「あ・・・」
小さな吐息。左近の手が触れた肩が細かく震えているようだった。
この肩はこんなにも細かっただろうか。
この手はこんなにも熱かっただろうか。
互いが初めて知った物のように、胸を震わせた。
常ならば安堵しきったように任せている体が、無心に主を労る手が、まるで知らない生き物になってしまったようだ。
それでも無言の儘、二人はいつものようにその時間をやり過ごした。
触れられた肩が、触れた手が、熱い。
「…済まぬ、左近」
「では、左近はこれにて失礼仕ります」
一礼し、目を上げた左近と、じっと左近を見つめる三成の視線が絡み合った。
物狂おしい想いが、瞳の中にある。
何かを言いかけ、三成は何を言うべきか分からず、途方に暮れたように口を閉ざした。
「何か…？」
「…いや、いい。ご苦労だった、行け、左近」
「では」
今度こそ左近は去った。
その身の内に、思い思いの恋の毒を注ぎ入れて。
それでも、時だけは関ヶ原へと向けて流れて行く。その先に何があるのか、何が起こるのか。
時は、まだ束の間の平安に怠惰を貪っていた。

〜終　幕〜

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一周年記念ということでＴＯＰに置いてありました。
何だかもどかしいやら何やら…なさこみつ。
いや、それの前段階。
お互いに恋に気付く前ですね。
実はシリアス長編として考えていた一部です。
気が向いたら、純愛シリアス書きてぇ〜！
・・・でもエロくなさそうだな。
こんな感じは如何でしょうかねぇ？